自動車の往来の激しい通りに面する屋根付きのバス停にたたずんだ人々は、一様に黒い衣装を身にまとっていた。ナデシコ・クルーの中でこの日都合のつくメンバーが、イネスの墓参りをしてきた帰りである。
　皆それぞれに語り合っていたが、声の調子は低く、全体に元気はなかった。小さなバッグの取っ手と真っ白なハンカチを両手で持ったメグミが独り言のようにつぶやいた。
「実感が湧かない……。ついこの前、アキトさん達のお葬式で会ったばっかりなのに、今はお墓しかないんだもの」
　そこでこみ上げてくるものがあったのか、メグミは唇を引き結び、言葉を切った。
　メグミとジュンの間にいたサユリは、沈んだ面持ちでメグミを見つめ口を開いた。ホウメイ・ガールズの他のメンバーは、今日はいない。
「もうお葬式まで終わってるなんて、何だかめまぐるしいですよね。結局何もお手伝いできなかったし。どうしてこんなに早かったんでしょ、お日柄のせいかな？」
　彼女の疑問には、バス停の一番端でミナトとユキナの話に耳を傾けていたルリが答えた。
「イネスさん、木星との戦争が始まった時に、遺言を作ってたらしいんです。もし自分のお葬式をするなら、無理、ムラ、無駄なくコンパクトに執り行うように、って」
　セイヤが頭に手をやり、感慨深げにうなる。
「まあ、あいつらしいって言やあ、らしいかな」
　そろいの喪服を着たリョーコとヒカルがしきりにうなずいていた。ルリは後を続ける。
「それと、自分の入るお墓も考えての事だったんじゃないか、ってプロスさんは言ってました。結局、戦没者霊園にお墓が作られたわけですし」
　ユキナが、いつもらしくない小さな声で自分の感想を述べる。
「けどさー、あの墓石、すごく変じゃなかった？　周りから浮いてたよ」
　その場にいた一同はそろって同じ意見だったが、いち早く反応したのはヒカルだった。
「実は私、前から気になってたんだけどぉ、イネスさんって、『大日本熊ちゃん教』の信者だったのかなあ？」
　ルリは真面目な口調で答える。
「イネスさんの事ですから無神論という気もしますが、本当のところはもう……」
　ミナトが吐息混じりにルリの言葉を完結させた。
「わからないわね」
　その場はひととき静かになった。誰もが、この数週間に起こったいたましい事件の連続に打ちひしがれていた。
　メグミがそっと切り出す。
「私、今日皆に会えて本当に良かった。一人でお墓参りしてたらもっと落ち込んじゃいそうだったから。ルリちゃん、連絡くれて、ありがとう」
　ルリは目を伏せがちにメグミとサユリの方を向いた。
「いえ……。でも、サユリさんは今日は」
　話をふられたサユリは、自分の顔の前で勢いよく手を振った。後ろで結んだ髪が左右に揺れる。
「あぁ、気にしなくてもいいの。私も皆さんに会いたかったから来ちゃった。歌のレッスンなんて後でどうにでもなるから……多分」
　最後は苦笑いになっていた。さらに一言付け加える。
「うちのメンバーとはまた改めて来るつもり」
　ヒカルがサユリに近づきながら、感心したように言った。
「へええ、アイドルって、大変なんだねえ」
　サユリは両手を掲げてヒカルを制止する。
「まだなってませんってばぁ」
　ヒカルは彼女ににじり寄ったが、その顔にいたずらっぽい表情はなかった。
「うーん、でも、忙しくなったら一緒に遊ぶの難しくなっちゃうのかな」
「……」
　サユリは何も答えられなかった。また、そんな自分がはがゆいのか、下ろした両手を組んで自分の指をもてあそんでいた。ヒカルは両手を頭の後ろに持ってきて空を仰いだ。
「イズミの奴もいなくなっちゃうしなー、誰と遊ぼ」
　はたと気づいたミナトが、ヒカルに質問する。
「やっぱりイズミちゃん、見つからなかったの？」
　ヒカルは姿勢を元に戻しながらミナトを見やった。
「さっきも電話してみたんだけど、だめだった。家も空けたまんまみたいだし、こりゃいよいよ本当に修行に出たのかも」
　リョーコが、心配半分、呆れ半分で声を漏らす。
「けどよ、修行っていったい何のだ？」
「さあ？　やっぱりダジャレなんじゃないの」
　二人のやり取とりを聞きながら腕組みして深く考え込んでいたセイヤが、つぶやくように言った。
「あいつもよお、昔いろいろあったっていうじゃねぇか。……その、二回婚約して二回とも相手が亡くなったって。その上今度は三人だぜ。そりゃ旅にも出たくなるよ」
　ヒカルはイズミの人生に改めて気づかされ、左腕を右手で抱えるようにして、地面を見た。
「早く帰ってきてほしいよ……」
　クルー達の間でずっと黙っていたジュンが、その時ようやく口を開いた。はっきりとした声で全員に聞こえるように話す。
「何か間違ってると思うんですよね、僕」
　一同の目がジュンを注視した。ジュンは彼らに向かって拳を突き出し、強い調子で語った。
「だってそうでしょ。やっと戦争が終わったのに、まだたくさんの人が死んでる。これって絶対おかしいですよ！　僕らはナデシコで懸命に戦ってきた。けど、あれじゃ全然足りなかったんですよ。緑の地球を、皆の幸せを守るには……！」
　一同はいつになく声を荒げるジュンの気迫を前に言葉を控えた。ただ一人ヒカルだけが、感に堪えない様子で両手の拳を握りしめ、顔を赤らめて喜んでいる。
　ジュンは見守るクルー達の視線に気づいてやや落ち着きを取り戻した。服装を正す。
「僕は軍人です。木星の無人兵器を相手にしていた時は、ただ敵を打ち破ること、それだけを目的に戦ってきたような気がします。でもこれからは違う。僕は、僕は軍人として皆を、地球の平和を守りたい！」
「――よしっ！」
　間髪入れずに大声で答えたのは、リョーコだった。口元には力強い笑みをたたえ、前髪のしなだれかかる瞳でジュンをにらみながらじりじりと詰め寄る。ジュンの方はリョーコの迫力に早くも圧倒され気味だ。
「珍しく意見が合うじゃねえか。ここんところ、あたしもそう思ってたんだよ。……このまま黙って泣き寝入りなんて絶対いやだ。あたしは、テンカワ達の分まで戦う、死んじまったあいつらの分までな」
　その時、ルリの胸を、言い表しようのない衝撃のようなものが走った。リョーコ達から離れた場所にいたルリは、一歩下がって身を縮こませ、やまない反響に耐えた。
　ルリの努力にはおかまいなく、二人の会話は続いている。当然のようにジュンは引き下がる気がなく、のけぞりながらも言葉を返した。
「僕だって。ユリカみたいな犠牲を出すのはもうごめんだ。ユリカの死を無駄にしたくない」
　ルリは自分の足場を保とうと力を込めた。
　ジュンの返事を聞いたリョーコは、ニカっと笑って彼の肩を思いきり叩いた。
「よく言った！　おーし、じゃあこれから軍人同志、飯でも食いながら地球の平和について語ろうぜ」
「え？」
　ジュンが返事をする間もなく、リョーコはそのまま彼の肩口を捕まえて歩き出した。そばにいたヒカルは、歓喜に身震いせんばかりだ。
「くぅーっ、熱血だね！」
　リョーコの手が伸びてきてヒカルの襟首をつかむ。
「ヒカル、おまえも来い」
「えーっ、私もう軍人さんじゃないよお」
　そうは言いつつも、表情に嫌気は全くない。にこにこしながら素直にリョーコに引きずられてゆくヒカルであった。
　バス停を離れてゆく三人を見るユキナは、なぜか不満そうであった。かかとを上げ下げして落ち着かない様子だ。
「私も行きたいなぁ」
　ミナトはユキナを見下ろし、大人の声でなだめた。
「リョーコちゃん達にも軍の人なりの生き方があるのよ、きっとね。そっとしておきましょ」
「だぁから、私は軍人さんじゃないってー」
　突っ込むヒカルにもミナトは微笑むだけだった。
　と、いきなりリョーコが立ち止まった。顔半分だけ振り向いてクルー達に言い放つ。
「あたし達は力一杯やる。皆に安心して生活してほしいから。だから、見ててくれ」
　リョーコは親指を立てた拳をクルー達に向かって突き出した。
　一瞬驚いたセイヤは、小さく笑い、同じ仕草を返す。
「頼んだぜ、リョーコ」
「ああ。全部任せろとはまだ言えねえが、頑張る。……あばよ」
　決意の表情のリョーコとジュン、そして二人を優しい微笑みで見守るヒカルは、しっかりとした足取りで立ち去った。
　三人の姿が角を曲がって見えなくなるまで見送っていたミナトは、ルリに提案をするつもりで振り向いた。
「ねえルリルリ、あたし達も――」
　しかしミナトはルリの表情を見るなり、言葉を続けることができなくなってしまった。ルリは周囲の総ての刺激を排除するかのように、身を固くし顔を伏せていた。その様子は、あのシャトル事故直後に見た姿に似ていた。
　声をかけられずにいるミナトに、ルリが気づいた。すぐに顔を背けるようにねじ曲げて、車の往来を見る。
「バス、来ませんね」
　セイヤがルリの言葉を耳にして、同意する。
「そう言えばそうだな。事故も嫌だが、時間通りに運転してほしいもんだぜ、まったく」
　ミナトは、バスが到着するまで、ついにルリに話しかけることができなかった。

　墓参りをした日の夜、ルリは、夕食とその後のひとときの団らんを終えると、いつもと同じように二階の自分の部屋でアルバイトを始めた。
　空中に広がる三つ四つのウィンドウに囲まれたルリは、刻々更新される表示を目で追っている。部屋着のゆったりした袖からのぞく手は自然な形で前に差し出し、木製の低い机の上に置かれたコンソール・パネルに触れている。手の甲にあるＩＦＳパターンが小さく鮮やかな光を明滅させるのに合わせ、パネルのパターンも似た色の光を放つ。同時にパネルから聞こえてくるかすかな電子音が、静寂に包まれたルリの部屋にこだましていた。
　次々に画面に現れる情報を処理しながら、彼女は、ナデシコでオペレーター業務を行っていた頃に思いをはせた。
　あの頃も今のように、日々仕事をこなしていた。だが一つ違っていたのは、いつも友達を相手にしていた事だ。戦闘データの入出力も、分析指標の指示も、総てオモイカネとの間でやり取りしていた。当時のルリの最初の理解者は、人間以上に人間らしいプログラム人格を備える航法コンピュータ、オモイカネだったと言えるだろう。
　しかしクルー達がナデシコを降りてから今に至るまで、ルリはオモイカネに会っていない。ネットを通じてコンタクトをとることもついにできなかった。オモイカネの行方に関して、プロスペクターや生前のイネスに聞いたりもしたが、どちらも詳しい事情は知らされていないとのことだった。ただし、二十二世紀のコンピュータ史上希有な存在であるオモイカネを、そうやすやすと破棄してしまうようなことは、軍もネルガルもしないだろうというのが、二人の一致した見解であった。ルリも心からそれを願い、いつかオモイカネに再会できる日を待つことにした。
　だが、もし仮に今会えたとしても、もはや昔のような関係でいることはできないのかもしれない。オモイカネが自己を保てていたとしても、ルリの立場が変わってしまったからだ。少なくともルリ自身はそう考えていた。
　彼女は傍らから一枚の紙を取り出した。厚手の白い紙の表には、大きめの文字で『通知票』と印刷されていた。彼女はそれを机の上のプリンタにセットする。
「音声入力開始。パターン、結果通知票」
　パネルが反応し、ルリの正面にあるウィンドウに模様付きの枠が表示された。
「電子障壁、よくできました。網路障壁、よくできました。電磁障壁、もっとがんばりましょう……」
　ルリが言葉を唱えると、枠の中に次々と赤く丸い印影が押されてゆく。あるものには花の飾りが、またあるものには月桂樹の葉をイメージした縁取りなどがしてある。
「コメント。あなたの社内システムの防御力は一般に比べて強いと言えます。けれど、電磁波などによる処理妨害には弱いようですね。なので、その部分の補強を行うことをお勧めします。詳しくは営業窓口までお問い合わせしてみてください。それから、依頼番号を控えるのをお忘れなく。担当、ホシノ・ルリでした。音声入力終了。語調変換」
　短いベルの音が鳴ると、紙がプリンタに吸い込まれていった。ルリは小さく一呼吸おき、印刷が終わるまで、次のターゲットに関する資料に目を通す。
　夜半を迎える前、喉の渇きを覚えたルリは、水を飲もうと階下に降りてきた。
　水道からほとばしる水をコップに汲み、一気にあける。コップを洗ってふと顔を上げると、明かり取りの窓に自分の顔が映っているのが見えた。髪が少々乱れているのに気づき、二、三度しごいて直す。顔には相変わらず生気が戻る気配はないようだった。
　昼間、皆を墓地に案内したり、イネスの事について長い間語り合っていたためか、ルリの身には強い眠気がわだかまっていた。今日の仕事は早めに切り上げようと考え、廊下を歩いていると、茶の間のふすま越しに話し声が聞こえた。
「――そうなの、だからホウメイさんもジュンコちゃん達と一緒に行けばいいと思うよ。……うん、サユリちゃんもね、もう一回行くって言ってた」
　ミナトの声だ。どうやらホウメイと電話で話しているらしい。ルリは彼女を邪魔しないように静かに廊下を通り過ぎようとした。
「皆？　うん、元気だったわよ。あぁ、社葬は済んでるからネルガルの人は来てなかったけどね。……ん、ルリルリだけは」
　ルリは自分の名前を呼ばれたことで、反射的に足を止めた。続くミナトの声は、明らかに調子が下がっていた。
「ふさぎ込んだまんまで。……え？　それはそうなんだけど。でも、見てるとわかるの。どんどん元気がなくなってくの。あたし、もうどうしたらいいのかわかんなくて」
　ミナトは深い溜め息をついた。ルリは我知らず、廊下の端で息をひそめていた。
「あたしの事？　あたしは、うん、大丈夫。あたしなんてどうでもいいの。それよりあの子……。どうしよう、あたしじゃ、あの子の家族になってあげられないのかな……」
　我に返ったルリは、音を立てないように、しかしできるだけ急ぎ足で茶の間のそばを離れた。ミナトの弱々しい笑いが聞こえる。
「えへへ、ぐちっぽくなっちゃったかな。……そうだね、一度ホウメイさんのお店、行ってみたいな。あ、でも今行くと、甘えちゃうかな、あは」
　ルリは階段を上りきって自分の部屋に入ったが、ミナトの落ち込んだ声がまだ耳に残っているようだった。

　翌日、目覚めたルリは何事もなかったように食堂へ赴き、ミナト、ユキナとともに朝食を摂った。二人が学校へと出かけてしまうと、掃除と洗濯を一通り済ませ、正午をわずかに過ぎた頃、家を出た。
　空には白く大きな雲の塊が、埋め尽くすほどの勢いで広がっており、ゆっくりとではあるが一つの方向に流れていた。雲の動きに合わせて陽差しがのぞいたり隠れたりしている。照らし出される街並みには人はまばらで、昼過ぎののどかな風景がそこにはあった。
　ルリは、ライト・グレーのネル地シャツと、濃い青のキャミソール・タイプのワンピースを着、丈の短い明るいピンクのニット・カーディガンという服装で、景色の中に進み入ってゆく。
　緩やかな下り坂を通り、家の軒に挟まれた細い路地を歩く。コンクリートで作られた防壁を乗り越える階段を下りると、砂浜はすぐそばだった。
　湿気を含んだ海風には、次の季節を感じさせるような密かな熱がこもっていた。風は、歩くルリの額やうなじ、膝の間をすり抜け、彼女が歩いてきた街の方へと過ぎてゆく。カーディガンの長い袖で手の甲を隠すルリは砂浜を右手に見ながら、散歩にしてはゆっくりとした足取りで歩いた。
　いまだに、ルリの内面は硬く凍りついていた。空港で最後に見たアキトとユリカの笑顔が、脳裏に深く焼き付いて離れない。また彼女自身の気持ちも、あの時からぴたりと静止してしまっていた。あれから経験した総ての事は、ルリの記憶にはとどめられるものの、彼女の奥深くに響くことはなかった。クルー達それぞれの思いでさえ、ルリの中の厚い氷を砕くには至らない。
　イネスの遺した言葉の真意もわからない。イズミやミナトをはじめ、クルー達の苦悩を和らげてあげることもできない。
「いったい、どうすれば？」
　ルリは口に出してみた。この問いが浮かんでくると、彼女の気持ちは今までにも増してしおれてゆくのだった。
――このまま、生きる。ルリは自分の今後を、できるだけ客観的に判断しようとしたが、あまり多くの答えは得られなかった。どうすることもできずに、平均寿命を迎える残り何十年かを、石のように硬く閉ざされた思いを抱いたまま生きることになるのだろうか。それがどんな人生なのか、彼女には見当がつかなかった。
　だが、彼女に見える選択肢は、それ以外に存在していなかった。
　小さな川が海に注ぐ場所に突き当たった。内陸部にかかる橋を渡ろうと、手前にある川沿いの道へ入る。
　すぐそばで子供の笑い声が聞こえた。顔を上げると、コンクリートの低い防壁から飛び降りた三人の子供が、ルリの前を歩き始めたところだった。彼女は特に当てがあるわけでもなく、子供達の後ろ姿を眺める。小学校中学年くらいの男の子と女の子が、幼稚園程度の女の子を間に並んだ。そしてゆっくりと、だがしっかりと手をつないだ。
　その光景を見た瞬間、ルリは自分の心臓が速く脈打つのを感じた。思わず両手を胸に当てて、鼓動を鎮めようとする。必死になるルリの頭の中に、一つのイメージが輝きを放ってよみがえった。
　寒い夜。今年のはじめ頃の事だ。ラーメン屋台の営業を終えたアキト、ユリカ、ルリの三人は、屋台を倉庫にしまって一緒にアパートへ帰る途中だった。素手で長い時間作業をしていたため寒さに耐えかねたユリカは、手をつないで帰ろうと提案した。アキトは最初嫌がっていたが、しまいには自分も手がかじかんでいたことを認め、三人で手をつなぐことになった。ユリカはルリの手を取り、アキトにも同じ事をするように勧める。ルリはアキトとユリカに手を引かれることが恥ずかしかったが、ユリカの強い主張に、彼女は譲歩を余儀なくされたのだった。
「だぁって寒くて風邪なんか引いちゃったら大変でしょ？　あ、アキトはそっち側ね」
　正当と言えなくもない理由を語るユリカに、アキトは溜め息をついた。
「ったく、小学生じゃないんだから」
　ルリは、半ばばんざいをするような格好で、二人に手を差し出す。
「もう、どうにでもして」
　まさにお手上げ状態である。
　それでも手が触れ合うと、ルリの両手に、二人のぬくもりが伝わってくる。右手はユリカの柔らかい手にしっかりと包まれ、熱いくらいに暖かくなる。左手はごつごつしたアキトの手に遠慮がちに握られ、暖かい空気に覆われる。ルリは押し黙ってしまい、素直に二人とともに歩いた。ルリは、アキトとユリカのＩＦＳパターンのかすかなきらめきを眺めながら、男の人と女の人はこういうところも違うのかなどと、とりとめもなく考えていたものだった。
　現実に立ち返ったルリは、いつの間にか足を止めている自分に気づいた。そっと両手を広げ、手のひらを見つめた。――あのぬくもりは、はっきりと思い出せる。忘れたりしない。あの時、自分は確かにあの二人と一緒にいた。三人で時を過ごした。その思い出は、決して消し去られることはない。
　その時、海からの強い風が、ルリの背中をあおった。耳のそばを何かが吹き飛ばされてゆく音が聞こえた。
　赤、黄、藍、そして白。鮮やかな色が目の前を猛烈な勢いで過ぎる。空を見上げると、風に巻き上げられた花びらのようなものが宙を舞っていた。
「わぁーっ」
　前を歩いていた子供達が歓声を上げ走り出す。色とりどりの花びらは、どこからか止めどなく押し流されてくる。
　ふと、気流からはずれた何枚かの花びらが、ルリの上に降ってきた。広げていた両手に、二枚ほど落ち着く。よく確かめてみると、それは長方形に切られた色紙だった。
　ルリは、紙が飛ばされてきた方角を振り返った。河口近くで砂が多く混じった川べりに、笹竹が二、三本流れ着いていた。枝にはたくさんの短冊が付けられており、それらが風に乗ってルリ達の所まで運ばれてきたのだった。
「……七夕送り……」
　ルリはその行事を知っていた。ナデシコに乗っていた頃、彼女の誕生祝いを兼ねて一度七夕祭りをしたことがあったのだ。お祭り好きなクルー達の手にかかってまんまと一大イベントに発展してしまったが、短冊に願い事を書いて笹の葉に結びつける本来の目的も忘れられてはいなかった。七夕送りでは、笹竹を宇宙空間へ射出したのだった。
　あの時はどんな願いを書き記したのか。今となっては思い出せないほどささやかな事だったような気がする。だが、その行為自体を密かに楽しんでいた自分を、ルリはしっかりと憶えていた。ルリは改めて、自分の手のひらに乗っているえんじ色と空色の短冊を見た。裏の白い部分には、たどたどしい文字がつづられており、どこかの誰かが託した思いが込められていた。
　ルリは短冊の短い文章を読み終えると、ゆっくり顔を上げ、そっと両手を天へ掲げた。風にさらされた色紙はたちまち彼女の手のひらから離れ、他の紙とともにどこかへ飛ばされていった。
「行こう」
　空に吸われてゆく短冊を見送っていたルリは、一歩足を出した。しっかりと地面を踏みしめて歩き始める。前途には何もなかったが、彼女はそこに何かを感じているのか、まっすぐ前を見つめていた。