雲一つない空にかかる太陽は、柔らかな午後の光を惜しげもなく下界へ注いでいた。乾いた平らな地面の上に風はなく、正に日溜まりといった風情である。
　爽快な表情のヒタキ・エイミとミユキ・ロビンスは、仲良く並んで地に腰を下ろし足を投げ出していた。だが二人はどう見ても不自然な形で頭の後ろに両手を組んでおり、また目つきは遠目がちだった。
　長い前髪と縁の太い楕円形の眼鏡の向こう側で瞳をきらめかせるエイミは、深く呼吸すると軽やかな口調で切り出す。
「高く澄み切った秋の空、穏やかな空気！」
　一方、肩に届かない程度で切りそろえられたまっすぐな金髪を揺らせ、ミユキが嘆息を漏らす。声音は若干暗い。
「こんなにいいお天気。なのに、あたし達ときたら……」
　突然、二人の言葉をかき消すほどの鋭い警笛が四方に鳴り渡った。二人は瞬時に体を横たえると、上体を起こしたり寝かせたりする動きを繰り返し始めた。
「何で腹筋運動五セットもやらなきゃなんないのぉ！」
　ほとんど自暴自棄になっているエイミとミユキは、周りで同じ体操服を着て運動を課せられている二十名ほどのクラスメイトと比べると、明らかにペースが速い。
　エイミは早くも紅潮している顔で歯を食いしばりながらも、大声で言葉を続けた。
「こうなりゃヤケよ、腹筋で力こぶ六つできるまでやってやるわ！」
　だがその叫びは、メモ・ボードとホイッスルを携えた体育教師に耳ざとく聞きつけられていた。彼女は鋭い声で注意した。
「こらそこ、ヒタキ・チーム！　私語は慎みなさい」
「はいはいー」
　つぶやくエイミの様子には、少なくとも反省の色は塵ほども見られなかった。代わりに上体の動きが激しさを増した。
　暴れ出しそうなエイミの足を押さえるツキシマ・ヒナは、はかなげな溜め息をついた。長い黒髪を押さえて額をあらわにさせている白いヘアバンドが目立つほどうなだれる。
「でも本当に、こんな陽気だったら第二学食のテラスでのんびりお茶でもしたいところですのにね」
　ヒナの意見にエイミがすぐさま反応した。いったいいつ息をしているのか疑わしくなるほどの明るさと勢いである。
「あーっ、お茶、いいわねぇ。私は、断然、ジャスミン・ティだなあ」
「ですけどねえ。それもこれも、こんなおなかのすく授業がなければのお話でしょ？」
　再び警笛が鳴った。ヒナは慌てて身を横たえると、エイミに足を押さえさせて腹筋運動を始めた。だが彼女はエイミとは違って、一回上体を起こすことにすら難儀していた。
　ミユキはむっくりと起き上がって足を投げ出し、荒い息をついた。
「お二人さん、そのおなかのすく運動とやらをしないで済む人が、ここに約一名いるわよぉ」
　彼女が力の入らない手をゆらゆらと振って指し示した先には、無表情に体育座りをするルリがいた。他の学生と同じデザインの体操服を着ていたが、サイズがいくらか大きいらしく袖や胴の辺りがだぶついている。
　エイミが、もっともだと言わんばかりに深くうなずく。
「皆でこんなに苦労してるのにさあ、一人だけ足を押さえてるだけってのは納得いかないわよね」
　ヒナは体を起こすことだけで精一杯なのにも関わらず、とぎれとぎれに自分の意見を口走らせた。
「いくら、年齢差があると、おっしゃいましても、いささか、えこひいきのような、心持ちが、しますわね」
　にこにこ笑いながら反論を待つミユキと二人に対して、ルリは素直に自分の言い分を口にした。
「私の場合見学って言っても、皆さんが思ってるほど楽な役回りじゃないと思いますけど。準備にしたって、跳び箱を用意したり、ネットを張ったり、体育館マットの耳をしまったり」
　エイミは思わずヒナの足を離してしまいそうになるくらい大きくルリの方へ体を向けた。
「そんなんだったら私、絶対見学の方が良いぞーっ」
　口をとがらせて抗議する彼女に対して、ルリはさらりと答える。
「ま、否定はしませんけど」
　エイミは声を高くして彼女に言い返した。
「んまぁーっ、こまっしゃくれたお子様だこと」
　ルリはエイミの言葉から、ある一つの事を思い出した。静かに、だがしっかりした口調で言う。
「……私、子供じゃありません。少女です」
　彼女は理解を求めるような目つきで、ふとエイミ達を見た。しかし彼女のそぶりには構わず、三人からほとんど同時に同じ文句で突っ込みが入った。
「何、それ?!」
「ヒタキ・チームっ、静かにしなさいって言ってるでしょ！」
　体育教師からヒステリックな叫び声が飛んできたのは一瞬後だった。

　その日の夜、ルリは寮の四人部屋の真ん中に置かれたこたつ兼用のテーブルにつき、傍らに教科書を置いて静かにノートに書き込みをしていた。彼女は黒いジャージの部屋着の上にマリン・ブルーのカーディガンを着ている。他に人はなく、壁に掛けられた時計の針の音と、閉め切ったアルミサッシの外で鳴く虫の音が聞こえている。淡い桜色をした背の低いタンスの上に置かれた花瓶には白い小さな花がたくさん生けてあり、そこからうっすらと甘い香りが部屋に漂っていた。
　やがてドアが開き、エイミとヒナが入ってきた。
「良いお湯だったわよー」
　エイミはゆったりとしたグレーのスポーツウェア風のインナーを頭からすっぽりと着ており、上気したももや膝小僧をあらわにしている。タオルを両肩に掛け、濡れた髪をその上に無造作に流していた。逆にヒナは自分の長い黒髪をうまくまとめ上げ、タオルを巻いてうなじとおくれ毛だけが見える形にしている。服装は、良く言えば清潔な、悪く言えば味気のない白っぽいパジャマである。
　部屋の中をぐるりと見渡したエイミが言う。
「あれ、ミユキの奴まだ帰ってきてないの？」
　自分のベッドの縁に腰掛け缶ジュースの栓を開ける彼女に、ルリは一言答えた。
「はい」
　ヒナはルリの向かいの位置にぺたりと座り、テーブルにひじをついてルリのノートをのぞき込んだ。
「そう言えば、文化祭こそが自分の腕の見せ所だ、なんて言ってましたけれど、今度はいったい何をやらかすおつもりなんでしょうか？」
　彼女の疑問には、ジュースを一口飲んで歓喜の溜め息を吐いたエイミがちゃちゃを入れた。
「はぁ、じゃ結局夏の展覧会は『見せ所』じゃなかったわけだ」
　彼女らの言っている事情が、ルリには今ひとつ飲み込めなかった。自分がここにやって来る前にそんな話題があったのだろうという事くらいしかわからない。彼女は、ノートを畳んで立ち上がった。
「私、様子見てきますよ」
「いいよ、別に。適当に切り上げて帰ってくるでしょ」
　エイミの言葉をよそに、ルリは自分のベッドへ行き枕元に置いてあった二、三冊の本を取り出した。
「借りてた本も図書室に返さなきゃいけないし、ついでです」
「あ、そう」
　ジュースの缶を口に当てて返事をするエイミの視線を背に受けつつ、ルリは出口へ向かった。
　サンダルを突っかけて外へ出る。寮の薄いドアを閉じた直後、部屋の中で二人が話しているのが聞こえてきた。
「しっかし何であの子、あんなに無愛想な――」
「あらあら声が大きゅうございますわよ。そういう事は本人の――」
　ルリはことさらに足音をひそめてその場から歩き去った。
　ヨコスカの軍事施設がある港そばに位置する地球連合大学ヨコスカ支部キャンパスに、ルリはいた。編入試験をパスしネルガルの特別な推薦状も受けた彼女は、軍に正式所属するための課程を九月からの半年間で修めるべく、日々を過ごしていた。
　支部の校舎は広いグラウンドを取り囲むように配置されており、さらにそれぞれが二階建ての渡り廊下で結ばれている。廊下は敷地の端にある寮にも続いているため、入寮者は外に出ることなく校舎内を移動することができるのだった。
　しかし夜ともなると、暗い屋内を好んで歩き回る者はいない。がらんとした廊下は、昼間のにぎやかさとは一転したむなしい景色を見せていた。二十四時間利用可能な図書室の無人窓口で宇宙論の本を返却したルリは、少々足を延ばして別棟にある美術室へ赴いた。
　広い美術室は闇に包まれて静まり返っていたが、入り口から一番遠い隅には白熱球の明かりがともっており、一人の人物の黙々と立ち働く影を浮かび上がらせていた。
「ミユキさん？」
　呼びかける声に反応し、人影は伸び上がってルリの方を向いた。
「え、ルリちゃん？　どうかしたの」
　珍しいものでも見たかのような声でミユキが答える。ルリはすたすたと室内を横切り、彼女の元へたどり着いた。
「精が出ますね」
　近くで見てわかったが、ミユキは新聞紙を敷き詰めた床に大きな看板を横たえ、ペンキで着色していたのだった。染料の独特な臭いがしている。
　ミユキは肩をもみほぐしながら近くにあった椅子に深く座り、目を細めてあくびをした。
「まだまだ途中なんだけどね。でも今度の文化祭ではあたしの才能をバァーンと皆に見せちゃうから」
　ルリは視線を落として看板の全体を見渡した。原色に近い色遣いの渦巻きや直線が、所狭しと描かれている抽象的な絵だ。どことなく、火星で見た古代遺跡の模様に似ているように彼女には感じられた。
　しかしさらに詳しく見ると、線がぶれていたり塗り色がはみ出している部分が幾つか見受けられた。だがもともとそれほど絵画鑑賞に関心のなかったルリには、それが単なるミスなのか、それとも味わい深い風格なのか容易に判断をつけることはできなかった。分析を進めようと顔を近づける。
「あ、あの、ルリちゃん。何か変なところ、ある？」
　顔を上げると、ミユキがそわそわしてルリを見守っていた。
「いえ、そんな事ないと思いますよ。私って絵をじっくり見たことがないんで、ちょっと観察させてもらってただけです」
「あぁ、そうなんだ」
　ミユキは安心した様子で溜め息をついた。彼女が何をそれほど心配しているのかわからなかったルリは、思わず彼女の顔をじっと見てしまった。
　ミユキはルリの視線に気づき、頬を染めた。目を伏せ考える素振りを見せたが、やがてゆっくりと語り出す。
「あたしね、昔っからそそっかしいのよ。きれいだな、芸術的だな、って思うものがあったらすぐ自分もやりたくなっちゃって、後先考えずに飛びついちゃうんだ。腕は全然立たないくせに、あれこれ始めちゃうのよね。実はこれもそう」
　彼女はそう言うと、右手を掲げて手の甲を見せた。そこにはＩＦＳ適用者の証であるナノマシンのパターンがはっきりと見えている。
「昔、テレビ番組でＩＦＳ対応戦闘機のアクロバット飛行を見たの。それこそ芸術的に、自由自在に空を飛んでるのを見たら、これしかない、って思っちゃったわけ」
　左手の指先で、手の甲のパターンをそっとなでる。ナノマシンは白熱球の弱い明かりを受けてところどころ輝いていた。
「それでもうその日の内にナノマシンを注入してもらったんだけど、後になって気がついた。ただこれを入れただけじゃあんなきれいに飛べないって事に」
　彼女は手を下ろした。決まりの悪そうな顔で微笑む。
「しかも、これって一生取れないって言うじゃない。あたし、何だか悲しくなって、泣いちゃった」
　ミユキは口をつぐんだ。ルリもかける言葉が見つからず、黙っていた。静まり返った室内には、屋外から虫の音がかすかに伝わってくるばかりである。
　間をおいて、ミユキは顔を上げた。
「ルリちゃんもナノマシン、入れたんでしょ。泣いた事とかなかった？」
　ちらちらと見てくる彼女の視線に促される形で、ルリは自分の過去をいくらか思い起こした。
　注入手術を施したのは、確か三歳になる前の事。その頃既に自我を確立していたルリは、急激に成長した意識に比べて発育の遅い自分の体を歯がゆく思っていた。もちろん、通常はたかだか二、三歳の体でコンピュータを巧みに取り扱うことなどできないのだが、彼女の乾いた綿のような知的欲求は現状に甘んじることを許さなかった。そこで彼女は自分のいた施設の研究員達をせかして、手術を前倒しさせたのだ。
　もとよりＩＦＳ強化体質として生まれてきた彼女だから、いくら年齢が低いとはいえ拒絶反応を起こすはずもなかった。落ち着き払うルリに比べてむしろ研究員達の方が、精密検査の準備や医薬品の拡充、さらには医師団によるサポート体制の強化などに奔走していたほどだった。彼らの姿は、当時の彼女の目には滑稽に映っていた。
　手術後、自分の手の甲に現れるナノマシンのパターンを見たルリは不思議な気持ちに襲われた。が、すぐに晴れ晴れしい思いを抱くようになった。これで、どんな機械でも存分に操作することができる。これこそが、自分の求めていた真の姿なのではないか、とその時彼女は考えたのだった。
　ルリはミユキに体をまっすぐ向け、はっきりと答えた。
「ないですね」
「あら」
　ミユキは途端に脱力し、椅子から滑り落ちそうになった。
　腰を浮かせて体勢を戻しながら、彼女は苦笑いを浮かべ半分ふざけた調子で言った。
「なぁんだ、もう、友達がいがないなー」
　彼女のせりふを聞いて、ルリは思わず聞き返した。
「え、本当ですか？」
「そうだよ、ちょっとはなぐさめたりとかしてくれたっていいじゃない」
　むきになって言い張るミユキに、ルリはふと言葉を返した。
「いえ、その話じゃなくて……」
　ミユキは不思議そうに目を丸くして彼女を見た。
「何？」
　ルリはすぐに声を出そうとしたが、思いとどまった。考えた後、一言だけ言う。
「じゃ、これからは注意しますね」
　彼女の答えを聞いたミユキは、ふてくされて立ち上がった。
「あー、ぜひぜひそうしてちょうだいな。今日はもうやーめよ」
　彼女は作業を切り上げ道具をしまい始めた。ルリは見よう見まねで彼女の片付けを手伝った。

　日中の季節柄らしい穏やかな陽差しはここ数日と変わらず構内の建屋を照らしていた。グラウンドや廊下を行き来する人々の姿も心なしかのんびりしているように見える。
　しかしながら、工科棟の五階に設けられた演習室は少なからぬ熱気に包まれていた。すり鉢状になった広い部屋には、午前中だというのに普段の講義に比べ倍以上の学生が集まっている。
「今日はヒタキの奴が作戦指揮やるんだって？　また面白い事期待できそうじゃん」
「相手は新入生だって。十四歳の」
「ああ、あの……」
　口々に噂する彼らの視線は、等しく部屋の中央に注がれていた。そこには戦略シミュレーション・システムがあり、四人の女性がそれぞれに準備をしていた。
「何か今日は負ける気がしないのよねー」
　椅子とコンソールだけを備えた簡易型の指揮席に着いたエイミは、手首をぶらぶらと振り首を回しながら不敵な笑顔で言った。薄いベージュの演習用制服の袖をまくり上げる。
　彼女より一段低い位置に据え付けられているコックピットにはミユキが収まっている。バーチャル・ルーム用のゴーグルを胸に抱えエイミを仰ぐ。
「今日はやけに張り切ってんじゃないの？」
「まあねー」
　エイミはそう答えて、対面にある同じ形のコンソール前に座るルリをねめつけた。
　ルリはエイミの威嚇にも似た視線を受け、ぴょこりと頭を下げた。
「一つよろしく」
　頭を一番下げたところで彼女の姿はコンソール・パネルの陰にほとんど隠れてしまう。だぶついた制服の後ろ襟と、その隙間から彼女の背中が見えるくらいだ。
　彼女の隣のコックピットにいるヒナは、既にゴーグルを頭に装着して目の表情はわからなかったが、彼女の方を向いて心もとなさそうに声をかけた。
「ルリさん、私、機動兵器の操縦はちょっとおぼつきません。ですからお手柔らかにお願いしますね」
「はい、できるだけやってみます」
　彼女らよりやや離れた場所に立っていた講師が、エイミの気迫に押されつつもマイクを使って演習室の全員に対し解説を加えた。
「えーっと、今日は二対二で戦闘シミュレーションをやってもらいます。一人は指揮官、もう一人はエステバリス小隊の隊長という事で」
　講師が手を挙げて合図すると、演習室の照明が若干落とされた。エイミとルリの間に透明なアクリル製の隔壁がせり上がり、手元のコンソールが点灯する。同時に二人の頭上に大きなスクリーンが開いて、二つの艦隊の情報と可視化画像が表示される。どちらの艦隊もリアトリス級戦艦が主構成だ。様々な画像が光を投げかける中、ミユキはゴーグルを手早く頭に装着した。
「タクティカル・マップは各自手元で確認してください。なお、公正を期してミユキ・ロビンスさんとホシノ・ルリさんにはＩＦＳの使用を禁止してもらいます。どちらかの艦隊の旗艦が機能停止した時点で終わりとなりますので……」
「よぉーしっ！」
　エイミが握り拳で思い切り手のひらを打つ。その音に驚いたのは講師一人だけだった。
「で、では始め」
　エイミはおもむろにコンソールに片手をつき前傾姿勢をとった。
「旗艦ヒタキ丸全速前進、ルリ艦隊に肉迫よ！」
　演習室の中空にあるスクリーンには、一方の艦隊から突出した一隻の艦が相手艦隊へ切り込んでゆく様が映し出されている。
　エイミから一呼吸遅れてルリが指示を出す。
「全艦微速前進。一、二番艦は十二時方向、六、七番艦は九時方向へ展開」
　ルリの側の布陣が変化したのを見て取ったエイミは、嬉々として号令を発した。
「さあ、来たわね。全艦、紡錘陣形で私についてきなさい。それからエステバリス隊発進よ」
　彼女はコンソール上のスイッチを小気味よく叩き、またミユキに呼びかけた。ミユキはゴーグルをつけた頭を巡らせて、彼女の声のする方を向く。
「エイミ、ちょっと早くない？」
「いいのいいの、エネルギーは供給するから私のそばにぴったりついてて」
　ミユキは肩をすくめて溜め息を漏らした。エイミがこのシミュレーションを娯楽として楽しんでいる事、自分がその楽しみに既に巻き込まれている事を痛感したからだ。毎度の話ではあるが、今度も彼女につきあわざるを得ないだろう。
「了解……、せいぜいあたしの事も面白がらせてちょうだい」
　ミユキはゴーグルを通して提供される仮想コントロール・パネルを操作し、ダミー・プログラムが操る小隊を率いてエイミの艦から出撃した。エイミはエステバリス小隊の飛形に満足し、ミユキへと声をかける。
「お言葉だけどねー、楽しみはいくらでもあるんじゃない？　ほら、この前エステの新しいフォーメーションを考えたって言ってたよね。あれを皆にご披露したら？」
　彼女らの頭上に展開されるレーダー映像でもはっきりわかるくらい、ミユキのエステバリスがよろめいた。
「ええっ?!　あれ、やるの？　でもぉ、今ＩＦＳ使えないしぃ……」
「そりゃあんたが決める事でしょうに。それに例えあんたがやらなくても、私は！」
　エイミは自分の旗艦をさらに前へ進め、やおら錐もみのように旋回させ始めた。旗艦のブリッジ映像が突然ゆがみ、窓外の星々が尾を引くほど高速に流れる。
「いつもより余計に回しておりまーす！」
　ミユキのエステバリス隊をも弾き飛ばさんばかりの勢いで回転している。これには演習室にいた学生達が驚嘆の声を上げた。そこかしこで笑い声も漏れる。
「何だかわからんけど、すごいな」
「戦艦ってあんな飛び方できたんだ……」
　ドリルのごとく突き進んでゆく戦艦の後を、ミユキがよろよろとついてゆく。
「ちょっと待って、エイミ。あたしもやるー」
　エイミは室内の雰囲気を十分に察知し、得意げに自分の対戦相手に視線を送った。人差し指で持ち上げた眼鏡の縁がきらりと光る。
「どうよ、ルリ」
　エイミが妙な勢いで兵力を展開し迫ってくる中、対面する指揮席でルリは淡々と艦隊に命令している。
「旗艦を除く各艦、主砲にエネルギー充填開始。フィールド出力は現状維持。旗艦、追尾型実体弾装備急げ」
　しかしながら、彼女の隣にいるヒナは自分に全く指示が降りてこない事に不安を感じていた。操縦桿に手を置いたままおずおずとルリの方へ顔を向けて尋ねる。
「あのー、私はまだ出撃しなくて良いんですか？」
　ルリはプログラムに命令を与えるのと同じ抑揚であっさりと答える。
「はい。もしもの時には出てもらいますんで、戦況にだけ注意しててもらえますか」
「それはまあ指揮官のおっしゃる通りにしますが……」
　ヒナはそれきり黙ってしまい、自分のゴーグルに投影される両艦隊の配置をぼんやりと眺めた。
　じっとスクリーンを見つめていたエイミが、目立たぬように拳を握りしめミユキに合図した。
「ミユキ、あと六で射程内に入るわよ。味方艦からの斉射後、相手護衛艦にとりついて動きを封じてちょうだい！」
「了解」
　エイミは独り言めいてつぶやいた。
「さあ、これからが本当のお楽しみよぉ」
　ミユキはエイミの艦から流れてくる情報を受け、タイミングを合わせるためにカウントをしている。
「四……三」
　そこへエイミの声が重なる。
「二！」
　指揮席に深く腰掛けて左腕を肘掛けに載せ、右手で軽くコンソールに触れていたルリが、ぼそりとつぶやいた。
「中央部全艦、出力反転し微速後退」
　コンソールに並んでいたインジケータのランプが一斉に色を変えた。レーダー映像の中でも数字がめまぐるしく動き、ルリ側の艦隊の陣形が変容し始めた。
「な、何、反転?!」
　大声を上げるエイミの手元で、攻撃目標との距離を示す数値がどんどん大きくなってゆく。彼女は慌ててコンソールにとりついた。
「逃がすもんですか。エネルギーを前方のシールドに集中させ、さらに増速！」
　彼女の命令に従ってコンソールの光が激しく明滅した。
　が、ミユキからは悲鳴にも似た声が上がる。
「エイミぃ、重力波供給切れたあ！」
「我慢我慢、私があっちに追いついたら元に戻すからっ」
「我慢ったって、どうしろって言うの」
　エイミはミユキと残りの艦艇を置き去りにしてさらに前へ出た。コンソール上の数値は再び変動し、徐々にではあるがまた距離が狭まりつつあることを示した。エイミは胸をなで下ろした。
　だがそれから数秒を待たずして、ルリが一言ささやいた。
「クロス・ファイヤー」
　突き進むエイミの艦に、周囲から砲火が降ってきた。
「え？」
　突然の変化に思わず気の抜けた声を出してしまった彼女の艦は、スクリーンの上でたちまち爆炎に包まれる。
　レーダー映像は、彼女の身に起こった出来事を克明に示していた。ルリの艦隊の辺縁部に展開していた数隻の戦艦は後退していなかったため、エイミの艦を二方向から挟み込むような位置を取っていたのだ。
　エイミはルリの戦略を理解しないままほとんど反射的に指令を下した。
「旋回動作やめ、第一象限へ急速回頭、全速で離脱！」
　エイミの艦はのろのろと動き始めたが、二方向から注いでくる砲火は確実に照準を合わせ彼女を逃さなかった。
「……！」
　彼女の必死の回避動作もむなしく、艦はエンジン部分を中心に大爆発を起こした。レーダー映像には、消えゆく小さな点と被害状況を示す数値が並んだ。
　重力波エネルギーを失いつつも飛んでいたミユキが叫ぶ。
「エイミ！　……あ」
　エイミのいた宙域へ向かったミユキのコントロール・パネルから警報が鳴り響く。彼女が反射的にパネルを見ると、前方から実体弾によるロックオンを受けていた。
　可視画像の中で四方へ飛び散る爆炎の向こう側から、ルリの旗艦がゆらりと姿を現した。両舷で開かれた砲門はぴたりとミユキのエステバリス隊に狙いを定めている。
「こ……降参」
　彼女は思わず両手を上げてしまった。
　ラウンド終了を示すブザーが鳴り、中央の隔壁が降りる。部屋全体の照明が元の明るさに戻る中、ルリは相手に声をかけた。
「お疲れ様でした。艦を錐もみさせて全方位射撃を狙ったのはなかなかでしたけど、踏み込みがちょっと甘かったですね」
　こともなげに言うルリに対して、エイミは悔しさがこみ上げてきた。席の上で腕と足をめいっぱい伸ばしながら言葉を漏らす。
「くぅーっ、後少しだったのになあ」
　彼女のそばではゴーグルをはずしたミユキが無言で肩をすくめている。
　ルリの隣では、ヒナがいたたまれない様子で座席に着いている。脱いだゴーグルを傍らのマウンタに置き、ルリに向かって言う。
「私の出る幕はなかったようですねぇ……」
　ルリは彼女に答えようとしたが、その前に離れた場所から講師が弱々しく口を挟んだ。
「ホシノ・ルリさん」
　振り向くルリに講師は一方的に萎縮した。が、言葉は続けている。
「あ、あのぉ、一応これ演習なので、与えられた戦力をできるだけ均等に使ってもらえません……か？」
　ルリはその時初めて演習室の様子に気づいた。部屋につめかけてルリ達のシミュレーションを見ていた学生達は口々にささやき合っている。幾つかの声が彼女の耳に届いた。
「……何か今のやたら早くなかったか？」
「って言うか、怖い感じがしたわ」
「実戦くぐってきた奴は、やる事が容赦ないね」
　エイミは、腰を上げてルリの方を見たが、彼女は特に反応もせず静かにしていた。少なくともエイミには、そのように見えた。