「艦長？」
ユリカがすっとんきょうな声を上げた。急に顔を上げたため、クリーム色のシャツの上にはおった淡いピンクのサマー・カーディガンの肩に、つややかな黒髪が一房流れる。
ガラスのはめられた高い天井から初夏の明るい陽差しが降り注ぐ学生食堂。昼の混み合う時間帯を過ぎて人影のほとんどないフロアの一隅に着き、ししとうの素揚げを口に運んでいた彼女だったが、それきり手を止め目を丸くしていた。
「はい！」
派手な色のベストとシャツを着込みネクタイを締めてテーブルのそばに立っていたプロスペクターが、胸を張って彼女に答える。鼻の下にたくわえたひげさえ誇らしげに突っ張っている。
「宇宙戦艦の？」
はしを下ろしたユリカが続けて尋ねた。
「はい！」
プロスペクターの自信は変わらない。
「……私が？」
ユリカは自分の鼻の頭を指さした。
「は――」
「ちょっと待ったぁ！」
プロスペクターは大きくうなずこうとしたが、ユリカの手前に座っていたトオヤマ・ミカが強引に割って入った。小学生と言われても違和感のない小さな体を補うかのように精一杯背伸びをして叫ぶ。薄い緑のワンピースの肩から胸元にかけて、彼女の長いカーリー・ヘアが舞う。
プロスペクターは彼女の声の鋭さに思わず身をのけぞらせたが、ミカは構わず突っ込んだ。
「突然現れて何言い出すかと思ったら、ユリカが宇宙戦艦の艦長ぉ!? 女子大生だと思ってナメた事言ってんじゃないわよ、オ・ジ・サン！ だいたい大学の構内でそんなキャッチセールスみたいな事して良いと思ってんの？ 信じらんない、あり得ないわ」
子犬のようにきゃんきゃんとわめき立てたミカは一転して口を引き結ぶと、自分の席にすとんと腰を落とした。と、代わりに彼女の向かいにいるコンノ・マユコがユリカを隠すように立ち上がっていた。清潔な白い半袖シャツに、幅広のベルトを通したジーンズという出で立ちの彼女は、ミカとは比較にならないほど身長が高い。
マユコはプロスペクターをぴたりと指さすと、一言、言い放った。
「ヒゲがうさん臭い」
喉の奥から響き渡るような、厳しい声である。
二人の攻撃にたじたじとなったプロスペクターは、眼鏡の縁を押さえて苦笑いを作った。
「いやはや、これは参りましたな……」
奥に座っていたユリカも、二人の騒ぎをどうにかして抑えようと両手を差し出し、なだめにかかる。
「ミカちゃん、ちょっと静かにしようよー。マユちゃんもぉ、人を指さすのはあんまり良くないんじゃないかなっ」
ユリカはマユコの手を下げさせる。だがそれでもマユコは、長めの前髪の奥から険しい目つきでプロスペクターをにらみつけるのをやめなかった。
二人の間で困ってしまったユリカはうつむき加減でつぶやいた。
「私は、ちょっと興味あるけどなあ」
一方のミカは怒りをあらわにした口調で再び言う。
「こんなどこの誰とも知らない奴にヘンな話されて黙ってろって方が無茶なのよ。ユリカもこんなのに引っかからないようにもう少し気をつけなきゃ」
「ミカちゃあん」
ユリカはミカの細い両肩に手を置き、背中に身を寄せた。
ミカとマユコの強い視線に突き上げられたプロスペクターは、肩をすくめて息を吐いた。
「なるほど、お二人が噂に聞く『二銃士』ですな。さすがに提督のご令嬢、ミスマルのお姫様はガードが堅い……」
が、彼の言葉を聞いたユリカがにわかに背筋を伸ばした。顔つきが険しくなっている。間をおかず、彼女はとがらせた口を開いた。
「あの、父が連合軍提督だから、私に声をかけたんですか？」
彼女の表情に当惑したプロスペクターは、事実を隠さず述べた。
「いえ、そういうわけではないのですが――」
しかしながらユリカはもう彼の説明を聞き入れようとはしていなかった。テーブルの上に手のひらをつき激しく首を振った。
「私は『お姫様』なんかじゃありませんから！ 行こう、ミカちゃん、マユちゃん」
ユリカは自分のトレイを取り上げて席を立つと、空いている他のテーブルを探してさっさと歩いていってしまった。マユコ達も急いで後を追う。
当を得ないプロスペクターの前を通り過ぎる間際、ミカが彼の胸に指を突きつけ、上目遣いで言った。
「おあいにく様でした。口が滑ったみたいね」
ふいと顔を背けて去る。彼女がとことこと歩いて向かった先で待っていたマユコは、プロスペクターに思い切り舌を出してから二人で連れ立って離れていった。
一人取り残される形になったプロスペクターは、その場にたたずんで頭をかくほかなかった。
「口が滑りましたか……」
その後残りの食事をしっかりと済ませたユリカ達三人は、第一学生食堂を後にして、すがすがしいそよ風の流れる屋外へと出た。広い構内にはまんべんなく陽の光が当たっていたが、風のおかげで暑くなるまでには至っていない。グラウンドの端や駐車場近くを歩いている他の学生達も、軽い服装でこの季節を楽しんでいた。
「はあー、食べた食べた」
弾む足取りのミカは、満足そうに腹をさすっている。先程の不審な男の事などすっかり忘れているようだった。
手を後ろに組んでミカの隣を歩くユリカは彼女に笑顔を向ける。
「今日は特に勢いよかったよねっ」
「だって時間ないしさー。それと今日の午後を乗り切るには、栄養がたっぷり必要なのよ。何て言うか、ぎゅっと自分の密度を高くしとかないと」
ミカは右手の人差し指を自分の顔の前に立てユリカの目を見た。ユリカは自分の指を顎に当てる仕草をして一瞬考えを巡らせた。
「そっか、今日課題あるもんね」
「そーゆー事」
ユリカ達が歩いてゆくと、グラウンドと食堂の間でちょっとした広場になっている場所に、金属パイプを足組みにして何かを組み立てている数人の人間が目に入った。ミカが疑問の声を上げる。
「ん？ さっきこんなのあったっけ」
近づくに連れ、足組みの上に幅の広い黒い板が何枚か渡してあるのが見えてきた。横には箱を積み重ねた階段が取り付けてあり、体裁としてはライブ用のステージを思わせた。
ミカはすたすたとスタッフの一人に歩み寄り声をかけた。
「トオル！ これ何？」
呼ばれた男は振り返り、手にしていたハンマーをふらふらと振って三人のクラスメートに挨拶を返した。
「よお、『大中小トリオ』か。今、昼飯？」
問われたミカは、自分の腹を突き出して誇らしげにぽん、と一つ叩いた。本人は意識していないのだろうが、はなはだ子供っぽく見える仕草ではある。
「当たり！ いや、それよりさ、ここで何かイベントでもやるわけ？ こんな大きいの作り出しちゃってさ」
ミカは両腕を広げて大きさを表現した。
トオルはミカ達の方へ体を向け直し、ハンマーの柄で軽く肩を叩きながら答える。
「それが、事務局に急に連絡が入ってさ、『連合少女』のライブをやるんだってよ。しかも明日だって――」
「連合少女?!」
彼の言葉に素早く反応したのはユリカだった。つぶらな瞳をさらに輝かせ、身を乗り出している。
「あ、ああ。ツアーの途中でこっちに寄り道するとか何とか」
「へえ、見に来ちゃおうかなあ。私、あの『パンチでブー、ちょちょいのちょい！』っていうのを生で見てみたいの」
ユリカは、何もない空を見上げて夢見がちに語った。後ろにいたマユコも彼女につられる形で無言のまま同じように空を仰ぐ。
だが隣のミカは肩をすくめ、意地悪そうにユリカの行動を指摘した。
「あらあ、こんな所にお子ちゃまがいるぅ」
彼女の言葉にユリカは頬を赤くしながら必死に口答えした。
「だってだってぇ、『パンチでブー』だよ。面白いじゃない、ケッサクだよね、見たいでしょっ」
「ま、そりゃ面白いけどさ。小学生向け教育番組のヒロインをわざわざ見に来るぅ、普通？」
ミカは横を向いてにやにや笑いを浮かべている。ユリカは彼女の肩にほとんどすがりつく格好で申し開きを続ける。
「そっかなあ、でもでも、構内でやるって事は見に来ても良いよね。ね、マユちゃんもそう思うよね？」
急に水を向けられたマユコであったが、彼女は先程と変わらず空を見上げていた。ユリカへの返事の代わりに、浅く二、三度うなずくばかりである。
弱り果てているユリカをさしおいて、ミカはトオルに質問した。
「でも実際、何でここでやるんだろうね。アイドルの追っかけ狙い？」
トオルははめていた厚手の皮手袋をはずして腰のベルトに引っかけた。同じく腰に下げている道具袋をまさぐり、何本かの釘を取り出す。
「どうかね。噂じゃ、連合軍が学生からの志願兵を集めるためのキャンペーンだなんて言ってる奴もいるけど」
彼は手を止めてミカ達に何気なく視線を巡らせた。ミカの後ろでは、ユリカがマユコの腕にすがって、何とか彼女に取り入ろうとあがいている姿がある。マユコは相変わらず上の空である。
「そんなのにつられる人間なんているのかね」
トオルの当てのないせりふを聞いたミカの脳裏に、先程の食堂内でのやり取りがよぎった。大の大人がしたり顔で繰り出す途方もない話、それが頭の中で繰り返される。揺るぎない自信を持ったあの男の口調が、信じたくない未来をミカにふと想像させそうになった。
ミカは大げさにかぶりを振って、答えた。
「知ったこっちゃないわ。負け戦ばっかりの軍なんか。木星トカゲだって」
彼女は肩越しに背後に短く声をかける。
「行くよ、ユリカ」
「あぁ、待って」
ユリカは手早くマユコと腕を組むと、彼女を引っ張ってミカの後についていった。
トオルはミカの背中を目で追った。いつもなら彼女がもう二つ三つ文句めいた事をまくし立てていってもおかしくはないのに、今日は口数が少ない。トオルは不思議に思いつつも彼女らを見送った。
「じゃあな」
彼の声には、ユリカが振り返って小さく手を振った。
グラウンドの端の木陰になっている舗道を、ミカは足を踏み鳴らして歩いていた。
「……何かつまんないわね」
ミカは髪をかき上げて、後ろにいるユリカ達を見やった。
「ユリカぁ、いつも言ってるけど、世の中物騒なんだから得体の知れないのについてっちゃだめだよ」
たしなめるミカの言葉を聞いたユリカは、口をとがらせて反論した。
「えーっ、『連合少女』は物騒なんかじゃないよぉ。確かに正体不明かもしれないけど」
ミカは思わず立ち止まってしまった。
「ユリカ、あんた……」
「ん？」
マユコともども足を止めたユリカは、目を丸くして見返している。
しばし無言だったミカは、自分の額をぱちりと手で叩くと、細い息を吐きながら答えた。
「ううん、何でもないよ。忘れて」
自然と笑いがこみ上げてきて、ミカは口元をほころばせていた。ユリカは腰をかがめて彼女に視線を合わせようとする。
「なぁにぃ？」
「うんうん……」
「あれ」
突然、マユコが低く声を発した。会話を中断させてユリカ達が見ると、彼女は左手を額に当ててまびさしを作り、校舎の上方辺りをじっと眺めていた。
「飛んでくる」
ミカとユリカもつられて空を見上げる。目を凝らすと銀色の光る点が二、三個、はるか彼方に浮かんでいるのが見えた。しかしその点は見る見るうちに大きくなり、編隊を組む戦闘機の姿となった。
「こんな所で、珍しいわね」
ミカが感心している間に、編隊は轟音をまき散らして彼女らの上空高い位置を瞬時に横切り、飛び去っていった。
「ミサイル、積んでたよ」
ユリカが真顔で言う。ミカは両手の指を組み頭の後ろへやって、ぞんざいな口調で言葉を返した。
「またこの近くで戦闘が始まるのかしらね。何かやるだけムダって感じもするけど。それどころかさあ、また学校の敷地に大穴あけられたんじゃたまんないわよね」
もっともな説であるだけに反論のしようもない意見である。ユリカはそっと同意の言葉を漏らした。
「本当、戦争って無駄遣いが多いよね……。あ！」
突然何を思ったかユリカが駆け出した。三人の目指す講義棟はすぐそばだったが、あらぬ方向へ逸れてゆく。
「どうしたの?! 授業始まっちゃうよ」
「うん、ちょっと待ってて」
小走りに彼女が向かった先は校舎と駐輪場の間にある少々日陰になったスペースで、緑の濃い前栽がたくさん植わっていた。背の低い木陰には、下草の手入れをする清掃員の女性が一人いた。ユリカは彼女に元気よく声をかける。
「シズエおばさんっ。この前もらったおみやげの人形焼き、とってもおいしかったよ！」
女性は顔を上げユリカを認めると、手を止めにこやかな表情になった。髪にかぶせていたスカーフを、軍手をはめた手で脱がせる。
「おや、ユリカちゃん。それは良かったわ」
ユリカは彼女に近づきながら、肩から提げていたバッグの口を開け中をのぞき込んだ。
「でね、これお返しなんだけどぉ……」
親しげに何やら話し込んでいる二人の姿を遠くから眺めていたミカは、ふと微笑みを禁じ得なかった。腕組みをして肩の力を抜く。
「ユリカったら、いつの間に。だけど、あの人なつっこさは脱帽ものだよね、まったく。誰だって自分のペースに巻き込んじゃうんだから」
ミカが背後を仰ぐと、マユコは深くうなずいていた。答える言葉こそなかったが、表情はいくぶん和らいでいるように見えた。
マユコなりの安堵の表現を見て取ったミカはユリカへ向き直ると、勢いよく呼びかけた。
「ユリカぁ！ 本当に遅れちゃうよ」
ユリカは振り向いて、張りのある明るい声で答える。
「はーい、今行く――」
同時に走り出した彼女だったが、縁石にパンプスのつま先を引っかけて思い切り前につんのめった。転びはしなかったものの、片足を前について両手を伸ばし、妙な格好でバランスを取る結果となった。
「あたた……」
痛がるユリカを見ていたミカは頭に手をやり、うなだれた。
「……あの天然全開娘が艦長だなんて、やっぱあり得ないわよね」
大きな港湾施設に隣接し、開けた港町にも面している地球連合大学ヨコスカ支部キャンパス、そこが彼女らの学舎だった。複数の学科が集まった構内には、広いグラウンドを取り囲む形で講義棟が建てられており、多数の人々が学んでいる。学科間の交流も盛んであり、学生は比較的自由に履修科目を選ぶことができるようになっていた。
午前中の早い時間帯である割には人通りの多い構内道路の上に、ユリカとマユコがたたずんでいる。ユリカは白に近い明るい色のシャツとスカートを身につけ、腰に濃紺の上着を巻き付かせた格好で、マユコにあれこれ語りかけている。一方のマユコはターコイズ・ブルーのポロシャツに色の濃いジーンズをはき、ユリカの言葉に時折うなずき返していた。
そこへ、袖に膨らみのある淡い黄色のシャツと控え目ながらフリルの付いたスカートを着たミカが、髪を風になびかせて走ってきた。
「おーい」
二人のもとへたどり着いたミカは、肩を落とし切れ切れの息で言葉を発した。
「次の授業、休講だったよ。先生が、連合の会議に、呼び出されてるって」
「やっぱりそうなんだあ」
ユリカが片手を腰に当てて、不満そうな声を上げた。
「ふう、シロの奴が言う事だから、てっきりガセネタかと思ったけど」
胸に手をあてがい、息を整えつつミカが言う。
「最近、連合からの召集っていうのが多いね……」
つぶやくユリカだったが、それには構わずミカは両手を挙げて注意を促した。
「さぁて、これからどうする？」
ミカは自由な時間への期待に胸を膨らませて、二人へ質問を投げかけた。が、それに答えたのは、ユリカでもマユコでもなかった。
「――はい！ お暇でしたらどうぞ私共の話を聞いてください」
三人の隣にいつの間にか現れていたプロスペクターが、右手を肩の位置に差し上げ軽やかに言葉を並べ立てた。
「えぇっ?!」
ミカは思わず後ずさりして彼の方を見た。前回と代わり映えのしない服装をした彼のさらに後ろには、暗い色のスーツを着たがっしりとした体格の大男が、口を硬く結んで直立している。
「いったいどこから湧いて……ってか、まだあきらめてなかったわけぇ？」
すぐしかめ面になったミカにも、プロスペクターはにこやかだった。彼は表情を崩さずに自分の服の胸ポケットを探る。
「先日は名乗るのを忘れておりましたが、私、こういう者です」
彼はポケットから小さな紙を取り出すと、素早く三人の手のひらに押し込んだ。
ユリカは手を広げて紙をのぞき込んだ。それは名刺で、彼の所属する会社のものと思われるロゴが記されている。ユリカは名刺の真ん中に書かれた文字を読み上げた。
「ネルガル重工の、プロスペクター、さん？」
「……なに人？」
ユリカの横で、マユコが独り言のようにつぶやいた。が、その声はプロスペクターには聞こえなかったようだ。
「はい！」
彼は自分の眼鏡をすり上げ、胸を握り拳で軽く叩いて言った。次いで背後の人物を両手で指し示す。
「そして彼はゴート・ホーリー。二人とも今はスカウトの仕事をしておりまして」
マユコは自分よりもさらに背の高いゴートを、いぶかしげな目つきでにらんだ。
「む？」
ゴートは顔つきを変えずにじろりと彼女を見返した。マユコも負けじと胸をそびやかして対抗する。頭上で繰り広げられる視線の交錯を感じ取ったミカは、キャラクターの似通った二人の様子を冷ややかなまなざしでうかがっていた。錫鮠
黙っているミカとマユコを置いて、プロスペクターはユリカに向かって話を続けた。
「今日は是非ともミスマル・ユリカさんにご案内をさせていただこうと」
「あーっ、またそんな事ぉ！」
ミカがすぐに反応する。
「そうおっしゃられましても、私共にはユリカさんのような人材がどうしても必要なんですよ。我々を助けると思って」
「だから艦長になれってぇの?! 話が飛び過ぎ！」
変わらぬミカの猛攻である。しかしプロスペクターの方も何とか応戦しようと両手を掲げて言葉を返す。
「ですからそれについては説明をさせていただきませんとぉ。ともかく我々にとってはとても大事な……」
「それでどうしてユリカになるのよ。そこが理解できないって言うの――」
激しく反論するミカだったが、腕を引き止められて思わず言葉を切った。振り向くと、腕に触れていたのはユリカだった。
「ミカちゃん。ありがとう。でも私、この人達のお話、聞いてみようかなって思うの」
まっすぐに瞳を向ける彼女の言葉に、ミカは驚きを隠せなかった。
「ユリカ、どうして……？」
ミカは絶句気味になる。マユコもすぐにユリカの前に回り込んで彼女の顔を見つめた。二人に囲まれたユリカはうつむき加減に、控え目な口調で答えた。
「この前は私も一方的過ぎたかな、って。それからこの人、嘘ついてるようには見えないんだ」
彼女の意見に異を唱えようとしたミカだったが、それより早くプロスペクターが彼女らの後ろから大声でユリカに話しかける。
「あー、ありがとうございます。それでは委細のご説明は場所を改めまして」
振り返った三人を前に、彼はかしこまってうなずいた。
「はい」
やや手狭な講義室の教壇に立って、プロスペクターは晴れ晴れとした顔をしていた。彼は両手を広げ朗々と声を発した。
「時は二千百九十五年！」
彼の声に合わせて、背後に立てかけられた大きなスクリーンに数字が浮かび上がる。スクリーンの隣には椅子がしつらえてあり、両の拳を膝に置いたゴートが相変わらず口を一文字に結んで座っていた。
講釈師ばりに扇子で演壇を叩いて、プロスペクターは続けた。
「遠く木星の彼方から飛来したる謎の無人兵器群、人呼んで木星トカゲ。奴らは地球連合の防衛網をことごとく破壊しつつ侵攻し、ついには、当時開発の進んでおりました火星圏をも陥落せしむるに至りました」
スクリーンには、暗黒の宇宙から現れる無数の兵器群や、それらが連合軍の艦隊を撃破してゆく様が映し出される。
教壇のすぐ前の席には、ぽかんとした表情のユリカと、警戒心をあらわにしたミカ、マユコが座っていた。三人の前にはえび入り煎餅やキャラメルといった駄菓子が置いてあり、さらにユリカは練り飴を盛りつけた割り箸を手にしている。
「ところが――」
「質問」
プロスペクターの口上を遮って、マユコがまっすぐ手を挙げ立った。
「あ、はい、どうぞ」
小さく手を差し向けるプロスペクターに、彼女は重々しい口調で尋ねた。
「名字はプロ？ それともプロス？」
関連性のみじんもない内容に話の腰を折られたプロスペクターは、途端に表情を崩して微笑んだ。頭の後ろを掻きながら平易な口調で答えてやった。
「あー、実はそれはペンネームのようなものでして、別にどこまでが名字というのはないんですが」
彼の返答を聞いたマユコはむっつりと黙り込み、自分の席へ腰を下ろした。心なしか頬が赤らんでいる。
そんな彼女の様子を見ていたミカが、次いで手を挙げた。
「はいはーい、私も質問」
不満げにほおづえをついたミカは、プロスペクターが指す前に喋り始めた。
「どうしてネルガルみたいな会社が戦艦の艦長なんて募集してるんですかあ？ そういうのって軍のやる事でしょー」
プロスペクターは営業用とも思える空々しい笑顔で答えた。
「その事についてはこの後お話しますので、もう少々お待ちいただけますか」
やんわりと即答を避けられたミカだったが、それでも相手の話題のほころびにどうにか食い込んでいこうと、机にかじりつき、やぶにらみの目つきで待ち構えた。
質問が収まったのを見てプロスペクターは続けた。
「では、よろしいですかな。……ところがです」
スクリーンの画像が切り換わり、砂の赤と水の青が領分を相半ばする星の姿が浮かび上がった。テラ・フォーミングの進行した火星である。
「火星の住民は全滅したわけではありませんでした」
映像が一瞬ぼやけると、続いて星の表面の地図が現れ、ある一点で光が明滅し始める。
「極冠近くに建設されたネルガルの研究所。ここにはまだわずかながら研究員が生存していたのです」
スクリーンの反射する光でよく見えなかったが、プロスペクターの表情は一瞬厳しくなり、彼は再び扇子で演壇を叩いた。
「我々にしてみれば同じ会社に勤める同僚。どうにか彼らを助けてほしいと、地球連合や軍に何度も訴えかけました。しかしご存知の通り、連合は敵の大戦力の前に撤退を余儀なくされ、火星どころか地球を守るのにもせいいっぱいの状況。とても我々の嘆願など聞き入れてもらえなかったのです。……そこでぇ！」
プロスペクターがおもむろに手を上へ伸ばした。スクリーンは急に暗転し、彼に細々としたスポット光が当たる。ゆっくりとゴートが歩いてきて彼の隣に立った。プロスペクターが言葉を再開させる。
「えー、ここから先はなにぶん企業秘密になっておりますので、どうぞ他言無用になさってください」
いつの間にか緊張のまなざしで注目していたミカ達は一気にくずおれた。
なかなか立ち直れない相手をよそにゴートが右手を掲げると、三枚程の紙片が携えられているのが見えた。眼鏡をすり上げてプロスペクターが言う。
「先程書いていただいた誓約書をお忘れなく……」
厳かな二人に対して、ミカは椅子の背もたれにどっかりと体を預け不機嫌な調子で答えた。
「わかった、わかったから先を進めてよ。話を聞かないことには、秘密にだってしようがないじゃん」
「では」
プロスペクターはにんまりと微笑んだ。
ゴートが紙をたたんで後ろへ下がる。スクリーンに再び灯がともされると、プロスペクターは声を張り上げて続けた。
「そこで立ち上げました社内極秘の企画、名付けて『スキャパレリ・プロジェクト』！」
彼の背後にネルガルのロゴと、もう一つ花びらのような模様が浮かんだ。プロスペクターは拳を握って強調する。
「軍に頼れないならいっその事、我々の手で我々自身のための戦艦を作り上げ、火星にいる仲間を救い出してしまおうというものなんです。これはまさに、中華鍋から発電所まで、あらゆるジャンルの商品を手がける我々ネルガル・グループだからこそなしえる業！」
プロスペクターが両手を広げると、背景には宇宙船と思われる機体のシルエットが現れた。光が当たっていないため細かい構造は確認できない。
「この船は、現在順調に建造中です。他にしなければならない作業は、船を立派に運営してくれる優秀な人材を集めること」
彼は、スクリーンを見上げているユリカに視線を据えた。
彼の言葉に呼応するように、小さな数字や文字の羅列がせり上がってきてスクリーンを埋め尽くしていった。
「オペレータ、パイロット、操舵手に通信士に整備班。船を動かしていくにはたくさんの人間が必要です。最高の人材を発掘するため、それはもう血まなこになって人捜しをしました。とにかく腕の立つことが条件で」
そこからプロスペクターの声がやや低くなった。
「性格や素行に多少の問題があっても……」
「ん、何か言った？」
ミカが耳ざとく聞き返す。が、プロスペクターは急いで両手を振り答えた。
「いえいえ、こちらの話です」
彼は咳払いを一つすると、改めて口を開いた。
「ま、ともかく、おかげさまで二百名余りのクルーの内、九割方を押さえることができました。残るは」
プロスペクターはいったん言葉を区切った。
「連合大学開設以来の驚異的な好成績で戦略シミュレーションにおいて無敗を誇る……ミスマル・ユリカさん、あなたです」
室内の照明が元の明るさに戻った。プロスペクターと、椅子から立ち上がったゴートは、そろってユリカの顔を見ていた。
当惑の表情を向けるユリカに、プロスペクターは言った。
「是非、我々の船を指揮していただきたい。艦長として」
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