無機質な金属製のブース群に造り付けられたコンソールの放つ光のみが照明となっている暗い部屋の中に、単調だが重々しい警報音がやまず響いていた。コンソールの表面では、音に呼応してせわしなく更新されるメッセージが、鈍い赤や黄色に縁取られた窓の中を下から上へ移動しているのが見て取れる。横に添えられた円や折れ線のグラフは、センサ類のレポートしてくる意味のある数値を表しては消していた。
「敵の射程距離まで推測四十五秒！」
　ブースの一つに陣取り前屈みになって眉間にしわを寄せているミカは、キーボードに素早く手を滑らせて情報を入力しつつコンソールの示す状況を読み上げた。
「……」
　彼女の隣に座っていたマユコは静かにうなずき、無駄のない手つきでコンソールを操作する。と、すぐさま結果が二人の前方にある壁面の大きなスクリーンに投影された。四つに分断された味方の艦隊に、周囲から大きく取り巻いた敵が接触しようとしている。艦船数で上回る敵艦隊は、円弧を形成して覆い隠すように味方を圧倒しつつあった。
「敵船速、やや増加。砲門へのエネルギー集中を検出」
　ミカは手元のコンソールが示す数値を明瞭な声で読んだ後、背後を振り仰いだ。
　彼女らより一段高い台上にあるシートに着いて、電子機器に埋め尽くされたデスクに片手を置き、緊張をみなぎらせた顔つきで正面のスクリーンを凝視していたユリカは、おもむろに口を開いて二人に語りかけた。
「各艦、バリアの到達範囲を一番広く取ってください。エネルギー密度はまだ低くて構いません。その後反転、敵に追いつかれないよう速度を保って後退を開始。旗艦が誘導する第六象限のポイントを目指してください」
　ユリカは手元のスイッチ類を操作してスクリーンに位置を示した。白く点滅する光のそばに座標値が表示される。
「了解、全艦に伝達」
　ミカが彼女に答えて、コンソールへ電文を打ち込み始めた。ユリカはミカの後ろ姿を眺めながら、演習用の薄いベージュの制服の袖周りを整えた。
　彼女らから少し離れた場所で床は階段状に上っており、各段には横長の講義机が配置されていた。机にはたくさんの学生が着いていて、互いにささやき合っている。
「おい、あそこって……」
「あんな所に集結したら、敵に囲まれて袋叩きじゃん」
　彼らはユリカ側の艦隊の動きをいぶかしげに見つめていた。
「最初からあれだけ多勢に無勢だったんだもん。もうあきらめるしかないっしょ」
「先生もさあ、いくら何だって意地が悪いよね」
　ほとんどわかりきった戦況に、彼らの言葉のトーンも下がり気味だった。
「さすがに無敗の戦姫も、今回ばかりはお手上げ、かな」
　学生達の投げやりな会話は、しかしながらユリカ自身には届いていなかった。スクリーンから目を逸らさずに身構える彼女は、タイミングを見計らって次の指令を出した。
「全艦、速度を十パーセント上げてください。まだ追いつかれないように。二番、三番、四番艦の航法コンピュータ、バインドできましたか？」
　マユコが短く答える。
「完了」
「すぐに航路計算に入ってください。有効精度最大でお願いします」
　振り返ったり声を出したりする代わりに、マユコは大きくうなずいた。
　スクリーンには、ユリカが先程示した位置へ速度を上げて向かう味方艦の艦影と、波のように押し寄せ包囲網を確立しようとしている敵艦隊とが等しく映っていた。ユリカは次の指令を出さず黙ってスクリーンを見つめ、また学生達も、取り乱さない彼女の物腰につられて言葉なく三人を見守った。
「射程距離まで推測三十秒。敵砲門のエネルギー反応、増大中」
　ミカがレーダーからの反応を読み上げる声だけが響く。スクリーンの左下にある可視化画像には敵艦群の侵攻する様子が映っており、充填されるエネルギーのおかげで砲門の周囲をちかちかと点滅させ始めたのが見て取れた。また、右端の領域にはユリカ達に割り当てられた味方艦橋からの模擬船外画像が提示されている。
　それらは本来、有視界訓練の際に艦橋からの眺望を模擬するためのものであったが、映し出される各艦の重々しい動きが、いつにないリアルさをユリカに見せていた。彼女は我知らず顎を引き息を押し殺した。
「射程距離まで推測十五秒！」
「航路計算終わり」
　ミカとマユコが相次いで声を発した。
　すぐに次の指令が下ることを確信し、大詰めに向け背筋を正して待っていたミカだったが、期待していた反応がなかった。
「……」
　不思議に思い背後へ顔を向けた彼女の目に映ったのは、肘掛けに置いた拳を握りしめ、身をこわばらせているユリカだった。スクリーンを見つめる表情には言い知れぬ悲痛さがうかがえる。
「――ユリカ！」
　ミカは思わず声を荒げて彼女を呼んでいた。
　ユリカは顔を上げて二、三度まばたきをし、目の前で刻々と進んでいる事態をようやく思い出した。
「ええと、全艦に航路修正を伝えてください。速度は維持するように。それから全艦、主砲へエネルギー注入を開始してください」
　そこで一つ息をつく。
「照準は前方に合わせて」
「……了解」
　彼女を探るようにじっと見上げていたミカだったが、返事をすると自分の作業に戻った。
　黙々と指令を伝達するミカとマユコに比べ、机に座った学生達はここに至ってにわかにどよめき始めた。
「味方に狙い合わせてるよ……」
「どうするつもりなの？」
「敵にやられる前に自分らで手を下すってか？　ぞっとしねえな」
　スクリーンに表示された光点群は、いよいよ一箇所に集中してきた。右側の可視化画像の中でも、前方で太陽光を反射させて近づいてくる味方艦の小さなイメージが暗い空間に浮かび上がっている。
「全艦航路修正終わり。指示地点まで六秒。五……四……」
　ミカが数字を読み上げ始めた。学生の内何人かは、スクリーンを注視できず目を逸らした。思わず両手で頭を抱える者もいる。
「近づき過ぎだよ！」
「ぶつかるっ」
　その瞬間、ざわめく講義室の隅々まで響き渡るようなはっきりした声で、ユリカが指令を下した。
「バリア、最大傾斜！」
　合図を受けたミカが、眼前に並んだレバーを両手で思い切り倒した。
　同時に、スクリーンに描かれたグラフが振り切れんばかりに形を変える。可視化画像内の味方艦群は一瞬にして画面いっぱいまで広がり、猛烈な速度で自艦の艦橋ぎりぎりを通過していった。味方同士の発するバリアの干渉を受けて、モニタの結ぶ画像はびりびりと震えた。
　ユリカが間髪入れずに叫ぶ。
「全艦、全砲門開放っ、てーっ！」
　つい今し方、味方艦群の席巻していった空間めがけて、ビーム兵器から大量の平行な光跡が帯をなして放たれた。その先には、鈍い灰色の金属光を反射させる艦影が散りばめられていた。
「えっ？」
　学生達が呆気にとられている間にビームは目標に到達し、まばゆい光球を炸裂させ始めた。ユリカが続けざまに言う。
「次、照準を半自動へ移行。砲弾発射間隔を耐用限界まで狭め、残弾尽きるまで連射！」
　それまで、逃げる一方のユリカ達の艦隊を加速して追いかけていた敵は、バリアの向こう側から突然現れた艦群に照準を合わせる暇も与えられず破壊されていった。後陣を固めていた艦も急減速が間に合わず、なすすべもなく相手方の砲門に艦影をさらすだけであった。
　この戦況の転換は、ユリカが指揮を執る旗艦の周囲以外でも起きていた。先程すれ違った味方艦群は、ユリカ達を追ってきた敵の鼻先へ切り込み、指令通り端から敵をなぎ倒している。他の二つの艦群も着々と戦果を挙げていった。もはやスクリーンに映る敵艦の光点は、風に吹かれる砂粒のように消し飛ばされ見えなくなってゆくのみだった。
　やがて、レシーバを片耳に当てていたミカがおもむろに声を上げた。
「入電。敵旗艦を撃破」
　とたんにスクリーン上のグラフや数値がぴたりと静止した。同時に可視化画像も色を失って、敵戦艦の爆発する光は暗いとばりの奥へと遠ざかっていった。
　講義室の明かりが全体にともされる。と、呆気にとられていた学生達は現実に立ち戻り、それぞれに言葉を交わしたり嘆息を漏らしたりした。あちらこちらからまばらな拍手も聞こえてくる。
　ユリカは席から立ち上がると、片手を頭の後ろへやって照れながら、講義室内に向かってしきりにぺこぺことおじぎをした。もう片方の手で控え目にブイサインも作っている。
「やはー、どうもどうもぉ」
　一番手前の机に着いていた男子学生がつぶやくように言う。
「しかし、すれ違って反撃なんてできるの？」
　これにはミカが反応する。彼を真正面から指さし、喜色満面で答えた。
「甘い甘い。航路はきっちり計算してあるの。味方の船が指示通りに操縦されてる限り、どんなにぎりぎりの隙間でも間違いなく通り抜けちゃうんだから。後は追っかけてきた敵さんの懐に潜り込んで、どかん」
　ミカは背伸びをし両手を頭の上にめいっぱい差し上げた。彼女なりの大げさな表現である。
「ってわけ」
「なるほどねー」
　ミカはすっと手を下ろして腕組みすると、歯を見せて笑った。
「わかった？　この場合、ばらばらになった味方をどうやって集めて、しかも一直線上ですれ違わせるかってのが――」
　得意げに説明していたミカは、突然脇を小突かれて言葉を切った。反射的に振り向くと、マユコがそばに立って彼女を見下ろしている。
「……」
　マユコは言葉を発することなく、視線でミカを促した。彼女が示していたのは、二人より高い位置にあって周囲に恐縮しながら自分の近くの操作卓を片付けているユリカの後ろ姿だった。
　ミカはふと顔を曇らせると、手を広げ肩をすくめた。
「わかってるわよ。……外に連れ出すしかないわね、午後にでも」
　マユコは深くうなずいた。

　車のエンジン音やクラクションといった喧騒が、世界をささやかにどよもしている。様々な色や形の自動車が陽の光をまぶしく照り返しながら行き交う。それなりに交通量のある大通りの上を、ゆるやかに風が渡っている。ここから望むことはできないがさほど離れていない場所にある海から吹いてくる風はかすかに潮の香りを含み、幅の広い歩道を歩くミカ、マユコ、そしてユリカの髪をなびかせていた。
　薄いピンクと白の縞模様の入ったノースリーブのシャツと、さっぱりした青系の巻きスカートという出で立ちのユリカは満足げに、右手に下げた買い物袋を見下ろした。
「良い買い物しちゃったねー。七割引どころかぁ、九割引なんだもんっ」
　彼女の隣のミカは、緑色のヨットパーカーのフードが持ち上がるほどいっぱいに膨れ上がったリュックサックを背負っている。
「いやー、二軒立て続けに閉店セールにぶち当たるとは、予想外だったわ。これだけ買ってもお財布に響かないし、全くラッキーとしか言いようがない」
　ミカの斜め後ろを歩いていたマユコは返事こそしなかったが、オレンジをベースにしたコットンの開襟シャツの胸に大事そうに抱えた自分の紙袋の陰で、頬を紅潮させてうなずいていた。
「大漁、大漁。……ん？」
　気分良く声を張り上げていたミカは、自分達の後方から近づいてくる物音に気づき、体ごと振り向いた。
　緩やかに曲がっている道路の彼方から、目にいたい原色に塗られた背の高い自動車がゆっくりと走ってくる。自動車からは何かの音楽とともにアナウンスが流れており、近づくに連れてその音量はどんどん大きくなっていった。街宣車らしい。
「『連合少女』かぁ？」
　背伸びして見やっているミカがつぶやく。彼女の隣に立ったユリカも、手のひらを額にかざし間延びした声で返答していた。
「そうみたいだねえ」
　近くに来てわかったのだが、自動車の側面は大型のスクリーンになっており、そこに映っていたのは、大観衆を前にステージ上を駆けめぐりながら歌っている少女の姿だった。四方から当たるスポットライトのおかげで、立ち上がって手拍子をしている観客に囲まれていても彼女のまとうかなり派手な衣装はぎらぎらと輝き目立っている。
　ミカは、行き過ぎとも言えそうな彼女のパフォーマンスを見たことがあるのを思い出した。
「あれ、この前うちの構内でやってたライブの時のじゃない？」
「あ、ほんとだっ」
　ユリカも理解したようである。街宣車は、注目する三人の前をほどなく通り過ぎていった。が、その時、車に取り付けられたスピーカから、連合少女とは違う朗らかなアナウンスの声が、彼女らの耳にはっきり届いた。
「連合大学の学生さん達もこんなに協力してくださっています！　銃後の守りは皆の勤め。学生さん達に負けないようより多くの人的、物的支援をお願いします。こちらは政府広報です！」
　街宣車は同じせりふを繰り返しながら勢いを上げて去ってゆく。巻き上げられる煙たい風にさらされて、ミカ達は唖然として車を見送った。
「何、あれ」
　気を取り直したミカはせいいっぱい胸を反らせて腕組みをした。
「『協力』ったって、ライブでノってただけじゃん。ちょっとずれてんじゃないのぉ？」
「あははー」
　ユリカも多少困惑した表情で笑いを浮かべた。
　呆れかえっている二人とは違い、マユコは紙袋を抱え直して歩を再開させた。ミカが思い出したように彼女の後を追う。
「行こ行こ。あんなのにかまってらんないわ」
　ユリカも二人に続いた。
　一同は大通りを離れて左折し、一本隣の細い道路へと入っていった。道の両側には小さな商店が並んでおり、ジャンパーやワッペンのような服飾品の他、雑貨を商う店、食料品店などがあった。
　三人は慣れた様子で足を運び、とある間口の狭い店の前へとやって来た。ユリカはやおら小走りになり、開け放たれた入り口を元気よくくぐるとともに中へ声をかける。
「ヨリコさぁん、いつもの！」
　奥に向かって細長く続く店の内装は、黒く塗られた重みのある木材が柱や天井を構成する、落ち着いた和風である。片側の白い壁に寄せて置かれたテーブルや椅子も木肌を生かした素材で作られており、古ぼけているはずなのに和やかなたたずまいを演出していた。
「え……？」
　ユリカは前につんのめりそうになりながら足を止め、顔を上げて目をぱちくりさせた。店の奥から出てきたのは顔に笑みをたたえた初老の女性であったが、どうやらユリカが期待していた人物ではないようだった。
「あの……」
「いらっしゃい。ヨリコさんはお休みを取るそうですよ。しばらく……いえ、ずっとかも」
　ユリカは、ゆっくりと答える彼女の前へ一歩進み出た。後を歩いてきたミカとマユコも店内へ入り、いつも店番をしていた若い女性とは別の人物がいることに驚いた。
「どうかされたんですか」
　胸に手を当て身をすくめたユリカは、おずおずと尋ねる。
「いえいえ、本人は何ともないんだけれどね、離れて暮らしてる弟さんが、連合軍と木星トカゲの小競り合いに巻き込まれて怪我をしたそうなのよ」
　相手の女性はユリカの心情を測り、つとめて静かな口調で話したが、その実表情は硬かった。
「昨日から病院に泊まり込んでいるわ」
「そう、なんですか」
　うつむいてしまうユリカに、彼女は急いで付け加えた。
「大丈夫よ、怪我の程度は大した事ないらしいし。で、『いつもの』って何を出せば良いのかしら？」
　ユリカは顔を上げ、沈んだ調子ながらもすらすらと注文を述べた。
「白玉あんみつ三つ。一つは白玉増量、一つは黄桃一切れ追加、もう一つは黒蜜多めにしてください」
　女性は呆気にとられたが、ぷっと吹き出すと奥の調理場へ向かった。
「かしこまりました」
　彼女が戸をくぐる直前に、ユリカの脇から慌てて顔を突き出したミカが声をかける。
「テイクアウトにしてもらえますか？」
「……はいはい」
　商店の建ち並ぶ細い通りのそばには小さな公園があった。遊具や砂場を備えるありきたりな造型の広場には、平日の昼間とはいえ利用する者は少なく、人影となると、公園の中央に植えられた二、三本の細い木の根元に置かれたベンチに腰掛けるユリカ達三人くらいのものだった。
「今日みたいな日は外で食べると気持ちいいね」
　白いプラスチック製の椀の中にさじを差し込みながら、ユリカは言った。ベンチに深く腰掛け、すくい上げた黒蜜たっぷりの白玉を口に含むと、足を絡ませ身をよじって歓喜を表現した。
「黒蜜おいしいぃ」
「ユリカ」
　隣でユリカに寄りかかり、前に伸ばした足をぶらぶらさせていたミカが、思い切って彼女に声をかけた。きょとんとして顔を向ける彼女の鼻先で、ミカは真面目な調子で話をした。
「――あんた、あのプロスペクターの言う事、真に受けたりしてないよね」
「ミカちゃん。……あのね」
　ユリカは椀をそっと膝の上に置くと、ゆっくり右手の人差し指を上げ、二人の間でぴたりと止めた。
「年上の人には『さん』をつけなきゃダメだぞっ」
　ウィンクしてみせる。
「そうじゃなくて！」
　ミカは彼女から勢いをつけて身を引き剥がし、肩をいからせて対抗した。
「あいつらの造った船に乗って火星に行くって、本気にしてないでしょっ。しかも艦長だよ?!」
　ミカはだだっ子のように上半身を盛んに上下させて主張する。彼女の背後からはマユコが音もなく身を乗り出し、頭越しにユリカをじっと見つめていた。
　言い終えたミカの目をも受けて、ユリカはふと真顔になり、指先でベンチの木目をなぞりながらぽつりぽつりと言葉を返した。
「私ね、前から考えてたの。ミカちゃんとマユちゃんとも前に話したことあったよね、どうして戦争になっちゃったんだろう、木星トカゲって何者なんだろうって」錫鮠 　ユリカは顔を上げ、ほどよく陽の光を遮り揺れる枝と木の葉を見上げた。その向こう側には、ドーム・シティの透明な隔壁の崩れた有様が見えており、割れた先端部が時折きらきらと光を反射させていた。
「でもそういう理由とか理屈とか関係なく、毎日たくさんの人達が苦しい思いをしてる。死んじゃう人も……」
　彼女の細い声を聞くミカは、不承ながらも詰問の矛先を弱め、手元に視線をやって自分の椀の中にたくさん浮いている白玉をさじでつついた。マユコは自分のあんみつには手をつけず、微動だにしないでユリカを見ていた。ユリカは続ける。
「そして、戦争が始まってからずっとそうだったから、つい慣れっこになりそうだった自分がいて。だけどそれじゃ良くないって、何度も自分に言い聞かせてた」
　ユリカは自分の持っていた椀を傍らに置き、ミカとマユコへ向き直った。
「私、苦しんでいる人達に手を貸してあげたいなって思ってたの。だから――」
　しかし彼女の訴えは、ミカに遮られた。
「だからってさあ、一介の女子大生が戦艦に乗って敵のまっただ中に突っ込んでいってどうすんのよぉ」
　これにはユリカは苦笑いするしかなかった。頭に片手をやりながら小さく舌を出す。
「えへへ、やっぱりぃ？　……でも、『私にならできる』って言ってもらえる事があるのがわかって、私、嬉しかったんだよ。それで誰かを助けられるなら」
　場を和ませようとしていたユリカだったが、ミカは再び気持ちを高ぶらせ、左手を頭上に突き出して、真っ青な空を指さした。
「でも『あの』火星だよ？　そんなのは、軍に任せておけば良いんだよ」
　次いでミカはユリカに顔を近づけじっと見つめた。そのまなざしは、怒りというよりも、深い真剣さを宿している。
「いくらユリカが戦略科の授業の成績トップだって言ってもさぁ、実戦で通用するなんて……限らないじゃん。木星トカゲは、さっきのみたいに機械が作り出した艦隊とはわけが違うんだから」
　ユリカも彼女に顔を近づけ、真剣な顔で言葉を返した。
「ミカちゃん。木星トカゲも機械だよ」
「だーっ、もう、話の腰を折るなぁ！」
　ユリカはミカの大声に驚いて両手を合掌し、目を閉じ首をすくめて謝った。
「ご、ごめんなさぁい」
　一転してミカは大きく肩を落とし、前に広がる公園の敷地へ目を移して溜め息をついた。
「ったくぅ、自分のやろうとしてる事がわかってんのかしらね、この子は」
　聞こえよがしな声でミカは文句を言う。彼女の背後から顔をのぞかせるマユコも何度となくうなずいている。
　ユリカはミカの膝の辺りに手を置いて懸命に答える。
「わかってるよ。別に戦争しに行くわけじゃないんだし、さっと助けてすぐに帰ってくるから」
　返事をせずマユコとユリカの間でいつもより余計に小さくなっていたミカだったが、やがて突如首をぶるぶると振った。水に濡れた子犬の仕草にも見える。
「あぁんもうっ、どうしてだろう」
　彼女の頭の上で、合点のゆかないユリカとマユコは不思議そうに顔を見合わせた。マユコはユリカへの無言の返答として、目の前で手をうち振る。
　ミカは意を決して、顔を上げユリカを見た。上目遣いでもじもじしている彼女の口元は小さく微笑んでおり、そこから出てくる言葉は、穏やかであった。
「……ユリカが言うとさ、本当にできちゃいそうな気がしてくるから不思議よ」
　彼女の表情を見たユリカはとっさに返答することができず、薄く口を開いて固まってしまう。
　やっとの事で自分の胸に手を当て、息を整えてから彼女に問いかけた。
「……じゃあ？」
　ミカは肩をすくめ、少しふざけた調子で言った。
「あんたは一度やるって言い出したらきかない頑固者だもんね」
　彼女の言葉を聞いたユリカは嬉しくなってしまった。何度もうなずき返す。
「そうそう、頑固、頑固」
「ただし！　人を助ける前に自分が怪我したら元も子もないんだから、危なくなったらすぐ逃げるんだよ」
　偉ぶって胸を張るミカに対して、ユリカはベンチの上で姿勢を正し元気よく答えた。
「はい、わかりました！　……ありがとう、ミカちゃん」
　ユリカは声を和らげ、ミカとマユコに向かってそっと手を差し延べた。ベンチに置かれたミカの指先に手が触れる。
「私、ミカちゃんとマユちゃんにだけはわかってほしかったんだ。これで、私も心おきなく――」
「――やだ！」
　突然、鋭い叫びが聞こえた。
　声の主はマユコだった。彼女はその場に立ち上がって腹の底から絞り出すような声で続けて叫んだ。
「私は、いや！」
　ユリカと振り返ったミカは、背の高い彼女がうつむいて必死に何かをこらえようとしている表情に出くわした。彼女の脇で握られた両の拳は、ふるふると小刻みに震えている。
「ユリカと離ればなれなんて……っ！」
　彼女はぐっと口を引き結ぶと、顔を背けその場から歩き出した。
「マユちゃん！」
　ユリカの呼びかけにも彼女は答えることなく、一度も振り向かずに、二人を残して公園から立ち去ってしまった。
　唖然として見送っていたミカは、マユコが見えなくなった方角を向いたまま暗い調子で言葉を発した。
「うちには、もう一人頑固なのがいたんだっけ」
「マユちゃん……」
　ユリカも呆然としてしまい、それきり黙ってしまった。マユコのいなくなった公園を吹き抜ける風に、二人は季節ならぬ肌寒さを感じざるを得なかった。

　それからというもの、マユコはユリカ達を避けるようになってしまった。いつも三人そろって受けていた授業では、一人だけ離れた席に座ったり、食事も故意に時間をずらしたり、たとえ廊下でばったり出会っても顔を背けるなど、とにかく徹底していた。周囲の人間は三人が珍しくけんかをしている、といった程度の認識しかなかったが、しかしユリカにとってはとりわけ深刻な問題だった。
　落ち込むユリカの肩に手を置き、ミカはそっと諭すのだった。
「ユリカもわかってると思うけど、あいつ、胸の中では反対はしてないはずだよ」
　ユリカはうなだれたまま答える。
「うん……」
「本当にやめさせたいなら、逆にアタックしてくるはずだもん」
「そうだよね……」
　ミカは彼女の気分を上向かせようと話題を切り出した。
「ほら、この前私が髪の毛ばっさり切ろうかなって言った時、マユコ、しばらく口きいてくれなかったよね。あれと同じだよ。ま、髪型と宇宙戦艦をごっちゃにするってのも何だけどさ」
　ユリカはほとんど泣き出しそうになっていた。自分の服の端を握りしめて、言葉を漏らす。
「マユちゃんにもきちんとわかってほしいけど、でも時間がない……」
「後一週間だっけ？　なんでこう早いんだろ。……って言うか、どうしてこんな事に……」
　ユリカは、ついに手のひらで両目を覆ってしまった。ミカもさすがに胸にこみ上げるものを感じたが、何とかこらえて彼女に声をかけた。
「いつかまた話し合えるようになるよ。私達の仲じゃない」
　ユリカは目を押さえたまま何度かうなずいた。いつものようなはっきりした言い方ができないことに歯がゆさを覚えるミカは、声を殺して泣く彼女の肩からそっと手を離し、空を仰いで小さくつぶやいた。
「もう、戦争なんて、大っ嫌い」

　時は速やかに過ぎ、マユコと再び言葉を交わすことはついにかなわず、ユリカは出発の日を迎えてしまった。
　他の建物と比べてやや高い位置に据えられたプラットホームは、灰色のトタン屋根に全体を覆われていることにより、午後の一番暑い頃であったにもかかわらず過ごしやすい空気を漂わせていた。目を上げれば、遠くにはさんさんと陽を浴びる街並みと、海をも望むことができる。
　近くに生い茂る木々の葉ずれの音が聞こえる。この静かな場所に二人だけあって、ユリカとミカはどちらからともなく互いに寄り添い、次に来る列車を待っていた。
「いよいよだね」
　濃い青に白い線描の入ったシャツを着、フリルとひだのたくさん入った膝丈のスカートを身に着けてそう言うミカの声はここ数日の中では明るく、何かを吹っ切っているかのようであった。
　日よけには適した長いスカートと肘の近くをひもで絞り込む半袖とを備えた白いワンピースの肩に網目模様のショールを掛けたユリカは彼女を見つめ、胸の中から自然にわき上がってくるささやかな微笑みを口元に浮かべた。
「見送り、ありがとう」
　ミカはかすかに首を振って返答の代わりに問いかけた。
「でも、今日の事、皆に教えなくて本当に良かったの？　誰にもさよなら言えないのってやっぱり……」
　ユリカはとん、と胸を叩いて、笑みを返した。
「仕方ないよ、『守秘義務』ってヤツだもんね。ミカちゃん申し訳ないけど、皆にはうまく言っといて」
「それはもちろん構わないけどさ」
　そこで言葉を区切ったミカは、両手を差し上げて伸びをした。
「あーあ、結局マユコの奴、来なかったなぁ。こんなひねくれ者だとは思わなかったわ」
　努めて明るく振る舞っていたユリカも、これにはさすがに暗い表情になってしまった。手を下ろして足下の荷物に目をやりつつ、ミカに語りかけた。
「二人には、手紙書くから」
「頼むわ、よっ」
　ミカは肩でユリカの腕を小突いた。顔を上げたユリカに、彼女はウィンクしてみせた。
「マユコにも返事書かせるよ」
「お願い」
　ユリカは声を詰まらせながらやっとそれだけ言い、小さく頭を下げた。
　見つめ合う二人の間にしばらく言葉のない時間が流れたが、それを打ち破ったのは、ホームの端にある階段の方から聞こえてくる、やけにかしましい何人かの声であった。
「あ、いたいた」
「間に合ったぁ！」
　息を切らせて階段を上ってきたのは、年齢も服装もまちまちな十人近くの女性達だった。ところが彼女らの姿を見たユリカは、たちまち顔を輝かせた。背伸びをして手を振る。
「わぁ、カヤさん、ナツエさん……皆、どうしたんですか？」
　勢いでユリカ達の前まで走り込んできた女性達は、荒い呼吸を鎮めるのに幾ばくかの時間を要した。その中で、最も手前にいたユリカ達と同年代のカヤがいち早く言葉を返す。
「どうしたもこうしたも、ユリカちゃんを見送りに来たんじゃない」
「え、何でそれを……？」
　素直な疑問が口をついて出るユリカに対して、セツが胸を張って答える。
「あらぁ、私達事務員の口コミ・ネットワークを見くびらないでもらいたいねぇ。あなたが休学までしてどこかに行こうとしてるってね、ネタはあがってんだから」
　彼女は片方だけ目を開けてユリカを斜に見た。
「最近マユコちゃんと険悪になってるのも大方その辺が原因なんだろ？」
　言われたユリカは、下手な言い訳をするのはやめて、素直に今の気持ちを伝えようとした。
「あはー、かなわないなあ。私、マユちゃんには悪いなぁって思ってるんですよ。実は私――」
「おっとっと、ちょっと待った。その先は言わないで」
　セツの両手を使った身振りに抑えられ、ユリカは言葉を切った。目を丸くして表情で問いかける。
　彼女の疑問には、ノリコが答えた。
「学校のお友達にも教えてないくらいなら、私達にだって言わなくてもいいんですよ。ただ私達は、お見送りするために来ただけ」
「ノリコさん……」
　優しい声で言うノリコに、さらには全員に、ユリカは丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。私、今、とっても嬉しいです」
　ノリコ達は彼女に対してそれぞれに、微笑んだり会釈を返したりした。と、ミカがホーム側の変化に気づいた。
「電車が来た」
　構内にアナウンスはなかったが、屋根を支える柱に取り付けられたランプが点灯しており、ほどなくレールを振動させるかすかな音が伝わってきた。音はすぐに大きくなり、わずかにカーブしているレールの上を、八両編成ほどの車両が軽やかに滑り込んできた。
「はいこれ、餞別ね」
　開いたドアの中に入ったユリカに、カヤは一つの紙包みを渡した。外は新聞紙や包装紙を簡単に巻いた状態で、手に取ると中からほんのり暖かみが伝わってくる。
「暖かい……」
「私からじゃなくて、食堂の皆から。お昼で抜け出せないんで、おにぎり作ってくれたの。途中で食べてねって」
　ユリカは包みを胸にしっかり抱えてそのぬくもりを確かめた。
「大事に食べます。皆にはお礼言っておいてくれますか」
　カヤが深くうなずくのを見たユリカは、荷物を持って四人掛けの席へ移動し、窓を開けた。
「それじゃ、行ってきます」
「達者でね」
「生水には気をつけるんですよ」
　口々にかけられる言葉を、鳴り始めたベルの音が打ち消す。ミカは窓のそばに寄り、はっきりした声でユリカに言った。
「一緒に行けなくてごめん。でも私達、ここで帰りを待ってるからさ。思う存分やって来なよ」
　ベルが鳴りやみ、列車のドアが閉じた。ユリカは目に涙を溜めてミカを見つめていた。
「ありがとう――」
　列車が動き出す。ユリカは思わず身を乗り出してミカ達に手を振った。
「ミカちゃん、皆……！」
　少しずつ離れ始めた女性達は、言葉を失い懸命に手を振り返す。
　列車が速度を上げるに連れて、強くなる風が彼女に吹きつける。艶のある黒髪が頬を流れるのに合わせて、彼女の瞳からこぼれ落ちる涙が細かな粒へと砕かれ空に散ってゆく。
「バイバイ――」
「ユリカ！」
　構内全体に響き渡るような叫びが聞こえた。髪を押さえ振り返ったユリカの目に飛び込んできたのは、列車の進む側のホームの端に立っていたマユコだった。
「マユちゃんっ」
　洗い晒しのシャツとジーンズをまとったマユコは、いつものように口を引き結んでその場に足を踏ん張り直立していた。走り続ける列車が彼女とユリカの距離を狭める。
「！」
　すれ違う直前、マユコはユリカに向かってやおら右手を突き出した。
　彼女の指先が、力強いブイサインを作っていた。
　勢いを増して通過する列車の窓辺で一瞬我を忘れてしまったユリカだったが、急いで体勢を整え、同じように手を掲げブイサインを作ってみせた。
　マユコは一つうなずくと、ユリカの乗った列車が見えなくなるまで姿勢を崩さずにいた。
「マユコぉ」
　走ってホームの端までたどり着いたミカは、彼女の背中に手を添え切れ切れの息で言った。彼女の奇異な行動に微笑みを禁じられずにいる。
「スポ根漫画じゃないんだからぁ」
　久しぶりにかける言葉だったが、以前と変わらない調子で言えたことに、ミカは不思議な感動を覚えた。
　マユコは列車の消えた方角をまだ見たまま、ゆっくりと手を下ろした。
「私の事、忘れてほしくなかったから」
「何よ、一人だけ抜け駆けなんてずるいぞぉ」
　ミカはぽんぽんと彼女の肩を軽く叩いたが、反応はほとんどなかった。
「だって……」
　やがて聞こえてきたマユコの声は、押し潰されそうな涙声だった。彼女の前に出て顔をのぞき込んだミカは、苦しそうに歯を食いしばっている表情を目の当たりにした。
「だって、あたし、口数少ないし、暗いし、目立たない子だから……。こんな格好でもしなきゃ、忘れられちゃう……」
　本人の真剣さはさておき的はずれな表現をするマユコに、ミカはふと素に戻り、ほんの小さな声で突っ込みを入れた。
「全然そんな事はないと思うんだけど」
　だが当然のようにマユコには聞こえていない。涙をこぼし、しゃくり上げ始めてしまった彼女を見て、ミカは彼女の背中に手を回して優しくなでてやった。マユコの体を自分の胸に預けさせるつもりだったのだが、実際には身長差がありすぎて、マユコを下から支えるような形になってしまう。早速ながら、ユリカのいなくなってしまった事を思い知らされるミカではあった。
　彼女がぼやくように言う。
「あーあ、これじゃ『大中小トリオ』じゃなくて、『大小コンビ』だね」
　マユコは返事をすることができず、ミカに体を押しつけて頬を濡らすばかりだった。
　ミカはユリカが消えていった方の空を見上げてつぶやいた。
「早く帰ってこい」
　ホームに残された女性達は、寂しさとともに来る言い知れぬ静けさに打ちひしがれ、すぐにはその場から動き出すことができなかった。