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　あまり広くはないが小綺麗な会議室には白い板を渡した机が並べてあり、その内の一つに二人の男が着いていた。灰色の制服を着た彼らは、それぞれに腕を組んだり顎に手をやったりして何やら思案している。
　彼らの前には将棋盤のような形をしたパネルが置いてあり、中央で点滅する白い光が目立っていた。男の一人がおもむろに腕を解き、額を掻きながら言った。
「うぅむ。すまないが、もう一度だけやってもらえるかな？」
「あ、いいですよ」
　パネルを挟んで向かいに座っていたユリカは、軽い素材でできた白系のジャケットの袖を少したくし上げてパネルに手を伸ばし、側面に付いているボタンやレバーを調節した。ブラウスの胸のささやかな飾りが揺れる。
「これくらいからで構いませんか？」
「ああ」
　男は返事を声に出すのももどかしそうに、手にしていたペンを激しく振って先を促した。
　ユリカは一つのスイッチを押して、ある程度時間を巻き戻したシミュレータを再開させようとした。が、その前に相手が別のスイッチを手早く操作した。
「今度は、こう、敵がバリアの出力を犠牲にして、最大船速で追跡してきたケースを考えてくれ」
「了解です」
　先程まで光っていた白い点は、白と赤二つの点群に分かれパネルの片隅へと音もなく移動していった。味方を表す白い点は二つあり、敵を示す赤い点は五、六個見える。
「この場合、さっきのような簡易フライ・バイは使えなさそうなので、別の方法で離脱を試みます。そうですね、輸送中の資源は無駄になっちゃいますけど」
　ユリカは自分の側にあるスイッチに何度か触れ、細かい調整を加えた。
「片方の輸送船がつかんでいる微小天体がちょうど間に入るように、二隻を併走させます。スピードを落とせないのでここの調節がちょっと面倒かも」
　味方の船は並んで飛行し、やがて小惑星帯の中でも天体密度の濃い領域へと入っていった。
　ユリカの向かいに座る男は、好転しない状況を見ていらだちをあらわにする。
「どうしたんだ、これじゃすぐに追いつかれてしまうじゃないか」
「もうちょっと待ってくださいね。今のエリアを抜けたこの辺が、次のポイントなんです」
　ユリカはパネルの一部を手で円を描いて示した。
　二隻の輸送船は、そこへはほどなく近づいてきた。ユリカがやおらスイッチ類をせわしなくいじり始めた。
「いきますよぉ。お荷物をそーっと切り離して、二隻のエンジン出力の向きを変えるんです。そしてタイミングを合わせて、同時に噴射！」
　彼女は右と左の人差し指で同時にスイッチを押した。白い光点はいったん動きをゆるめた後、突然二つに分離し正反対の方向へ移動を始めた。
「おっ?!」
　男達が驚いて見つめる中、二つの点は敵よりも明らかに速度を上げて離れてゆく。すぐに敵と味方は一つの画面に収まりきれなくなり、最終的には味方の内の一隻のみがパネル上に残る形となった。
　ユリカはスイッチから手を離してテーブルの上に置くと、肩の力を抜き安堵の息を吐いた。
　彼女に対して落ち着きを失ったのは男達の方だった。
「こ、これは……」
　狼狽の色を隠せない彼らに、ユリカは体を起こして解説を述べる。
「はい、輸送船の推力を微小天体に向けてみました。これでお互いの力をプラスすることができて、普段よりも高い速度を出せたってわけです」
　男達は彼女の説明をにわかには呑み込めず、難しい顔をして腕組みをしパネルをにらみつけるばかりであった。彼らにしかと聞いてもらえているかどうか心配しながらも、ユリカは言葉を続けた。
「天体の硬度は低めに想定してますけど、あの規模なら簡単に壊れたりはしないので、うまく働いてくれるみたいですね」
「と、とにかくだ、こっちできちんと分析してみるから。おい、記録は取ったよな」
　一方の人物が隣の男の二の腕を叩きながら腰を上げた。
「は、それはもちろん」
　二人はいそいそと席を立ち、パネルやそばに散らかっていた資料をかき集めて部屋の出口を目指した。自動ドアが開くのも待ち切れず廊下へと飛び出す。
　ユリカは急いで立ち上がり、彼らに向かって敬礼をした。
「お疲れ様でした！」
　その声が彼らに届いているかどうか定かでなかったが、二人はおざなりに背後へ手を振り廊下を小走りに消えていった。
　ユリカが額にかざした手を下ろす前に、まだ閉じていない自動ドアをくぐって一人の男が室内へやって来た。派手な色のシャツとベストを着た男性、プロスペクターであった。
「あ、プロスさん。お久しぶりです！」
　ユリカは腰を折って元気よくお辞儀をした。プロスペクターは右手を軽く掲げて挨拶を返す。
「あー、どうも、おじゃまします」
　彼は二人の男達の消えていった方をちらりと振り返り、言葉を続けた。
「何ですな、艦長職も板に付いてきたといったところですか」
　彼の表現に照れたユリカは、頭の後ろに手をやって肩をすくめた。
「いえそんな、まだまだですよぉ」
　緊張が解けたせいもあるのか、以前の学生らしい姿がのぞかれる仕草であった。
「いやけっこうけっこう。ところで、今日は折り入ってお見せしたいものがあって参ったのですよ」
　プロスペクターは、手に提げていた紙袋を持ち上げて、ユリカに渡した。買い物袋のようであるが、表にはネルガルのロゴが紙の素地いっぱいにあしらわれていた。
「何ですか？」
「まあ、開けてみてください」
　二人で席に着いた後、ユリカは袋の中身を机の上に引き出した。中に入っていたのは装飾のない白い立方体の紙箱である。封をしているシールをはがして開くと、中から出てきたのは腕時計らしき物であった。女性向けと言うには堅さの強調されたデザインで、ボタンが幾つか顔をのぞかせている他に、文字盤などは見当たらなかった。
　ユリカは箱の中からそれを取り上げて、目の前で裏表を確かめた。
「？」
　プロスペクターは、不思議がっているユリカに向けて厳かに説明を加えた。
「我らがネルガル・グループにて開発した通信装置の新型です。『コミュニケ』と呼んだりしておりますが。よろしいですかな」
　彼は、その装置に手を伸ばしボタンの一つに軽く触れた。ほぼ同時に、ユリカの目の前の空中に淡い燐光を放つ四角いスクリーンが飛び出してきた。
「わっ」
　思わず声に出してしまったユリカは、慌てて口に手を当て顔を赤らめた。
　プロスペクターも、相手を驚かせてしまったことにやや恐縮していた。
「いや、失礼。こうして大きな画面を空中に作ることで、通信先の状況を詳しく見られるのが特徴なものでして」
　ユリカは背を反らし離れた位置からスクリーンを眺めた。そこにはパイプや鉄骨を張り巡らせた工場のような建物の内部が映し出されていた。
「今日お見せしたかった物は、実はそこにあるんです。場所はまだ秘密ですが、ネルガルのドックです」
　スクリーンの中の景色がゆっくりと横へ動き始めた。徐々に、広大な工場内部の様子が明らかになる。アーチ型の高い屋根の下、ドックのほぼ中央に、白っぽい塔のような建造物が見えた。膨らんでいる塔の頂の部分は印象的な赤に染め上げられており、横一列にガラス張りの窓が並んでいる。
「これは……」
「ちょうどブリッジ部分ですな、船の」
　スクリーンは次第に広い範囲を映し出し、細かい足場を一面に貼り付けた船の姿が浮かび上がってきた。マットな白で主に構成された船体は、先頭にあるレール・ガンのブレードを思わせる二本のアームから、複数のノズルを束ねる後尾の噴射部分まで、すらりとしていて統一されたデザインを有していた。まだ建設途中であるにもかかわらず、優雅なフォルムであるのが確認できる。
「うわぁ」
　言葉もなく画面に見とれているユリカに対して、プロスペクターは誇らしげに説明を加えた。
「全長二百九十八メートル、総重量三万七千五百三十トン。新たに造り上げた大出力の相転移エンジン一基に加え、核パルスエンジン四基を搭載することで、優れた機動性を確保しております。さらに」
　だんだん調子に乗ってきた彼は、映像を見つめるユリカを前に弁舌軽やかに諸元を並べ立てた。
「主武装には重力波エネルギーを応用したグラビティ・ブラスト、防御にも新開発のディストーション・フィールドを装備して、攻めも守りも万全を期しているのです」
「あの」
「何でしょうか？」
　ユリカに遮られたプロスペクターは、それでもにこやかに問い返した。ユリカは、スクリーンを見ていた顔をわずかに上げて彼に質問した。
「この船、名前は付いてるんですか？」
「名前……、はあ、まぁ」
　これまでの説明とは全く関係のないことを聞かれて、彼はやや戸惑いの表情を見せたが、速やかに答えた。
「進水式前なので正式な名前はまだ与えられていないのですが、就航した暁には、『ナデシコ』と呼ばれることになっています」
　ユリカは真顔になってその名称に聞き入った。
「へえ。……それじゃあ、『宇宙戦艦ナデシコ』？」
　プロスペクターは申し訳なさそうに肩をすくめて首を振った。
「いえ、この船はあくまで民間船。『宇宙戦艦』と言うにはちょっとおこがましいところですかなぁ」
　彼の答えを聞いて頬に指を当てたユリカは、天井を見上げて少し考えた後、ぽつりとつぶやいた。
「だったらぁ……。機動性に優れた戦艦だから、機動……戦艦」
　彼女はそこで得心がいったらしく、一つうなずいた。
「『機動戦艦ナデシコ』……。うん、良い感じです！」
　彼女は会心の笑みを浮かべ、再びドック内の映像を見やった。
　一方のプロスペクターは、彼女の放った言葉を、思わず知らず口の中で唱えてしまっていた。
「機動戦艦、ナデシコ。……ふむ」
　顎に手を当て、その言葉の語感を確かめた。
「あ、プロスさん。ここに誰かいますけど」
　彼の思慮を気に留めず、ユリカは画面の中の一点を指先で示した。ナデシコのブリッジ部分の程近く、ドックの壁からせり出したコンクリート張りの広い台の上に無数の電子機器類が並べられており、また通信ケーブルと見られる黒く太い配線が床を縦横に走っていた。モニタ群の放つ白っぽい光は、電子機器の中央に置かれた椅子にこちらに背を向けた形で座る、小さな人影を浮かび上がらせている。
「あぁ、彼女ですか」
　画面をちらりとのぞき込んだプロスペクターは、胸を張って答えた。
「名前はホシノ・ルリさん。えー、この船の建設当初からオペレータとしての参加が決まっていた方です。今はちょうど、航法コンピュータとの連携をテストしているところですな」
　ユリカはなぜか感心してうなった。
「ふぅん。とってもちっちゃい子のように見えますね」
　確かに、ユリカ達が見ている画像の中でも、彼女の姿は、機械類に押し包まれた椅子に、さらに埋もれるように座っているのだった。
　プロスペクターは、眼鏡のつるを押さえて機嫌良く言葉を返す。
「はい、何しろ彼女は十一歳ですからな。しかし侮ってはいけませんぞ。彼女は四歳の年に我がグループにスカウトされて以来、現代科学のあらゆる原理法則をマスターし最新宇宙技術をも完全に修得した人物なのです。ま、性格はさておき、オペレータとしては最適の人材です。彼女は正に我らネルガルの自信作と言えましょう！」
「自信『作』？」
　妙なところに引っかかりを覚えたユリカに、プロスペクターはむせ返りそうになりながら咳払いをして答えた。
「あ、はは、いやいやどうかお気になさらずに。言葉の綾、綾ですからして」
　取り繕うプロスペクターを特にいぶかしむこともなく、ユリカは画面の中の小さな人影に見入った。
「こんなにちっちゃいのに、一人で……」
　ユリカは机に肘をついて身を預け、右の人差し指をそっと近づけた。
「何か、早く会ってみたいです」
　ユリカは、知らぬ間に微笑んでいた。
「じきですよ。おっと、そう言えば人材確保が後手に回って遅れていたんですが、クルーの名簿をお送りしませんとな」
　プロスペクターの言葉を聞いたユリカはにわかに元気になり、体を起こして答えた。
「はい、お願いします！　すごく興味があります」
「それでは早速手配を――」
　と、会議室の扉が突然開き、威勢のいい男の大声が聞こえた。
「はいはい、ちょっくらじゃまするぜぇ。おっ、プロスの旦那、ここにいたのかぁ！」
　廊下から入ってきたのは、ユリカとさほど歳の変わらない男性だった。わざとすり切れさせたようなジーンズをはき、襟を立たせた白いシャツの上に合皮の茶色いベストを着込んで、手には指ぬきの黒い手袋をはめている。多少乱れている髪の毛をぞんざいに流しており、はっきりとした眉の下にある目や、口を開いた時に見える白い歯がやたらと輝いていた。
　プロスペクターが彼に返事をする。
「これはこれは、ヤマダさん。今日はまた――」
「たーっ、違ーう！　俺はガイ、ダイゴウジ・ガイだっ」
　右手を大きく振りかぶり、そびやかした胸を親指で指し示す。かなりの自己主張ではある。
「いえ、そう言われましても戸籍上は……」
「そんなのは知ったこっちゃねえ。ガイは魂の名前、心の叫びなんだあっ！」
　彼から少し離れた場所にいたユリカは、突然の闖入者に驚くとともに、彼の勇ましさと珍妙さが混じったような言動に思わず笑みを浮かべていた。
　プロスペクターはユリカの方へ体を向けて説明を加えた。
「こちら、新型の艦載ロボット、エステバリスのパイロットを務めてくださるヤマダ・ジロウさん」
「だぁから！」
　どうしても反論しようとするガイに両手をかざして抑え込み、プロスペクターは彼に語った。
「こちらはミスマル・ユリカさん。あなたが乗る船の艦長になられる方ですよ」
　これを聞いたガイはさすがに騒ぐのをやめ、ユリカの方へ向き直った。
「おー、このお嬢さんが。俺はダイゴウジ・ガイ、よろしく頼むぜ」
　ユリカはすごすごと会釈をした。頭を上げると、首をすくめて苦笑いをした。
「よろしくお願いします。まだ、艦長なんて実感も自信もないんですけどね」
「なぁに、木星トカゲ共が攻めてきたら、俺の熱血パワーで蹴散らしてやるぜ。あんたは、でぇーんと構えてりゃいいのさ」
　ガイは親指を立てた拳を顔の横に持ってきて、ニカっと笑った。
「あんたの船も、皆の地球も、俺が守ってみせる！　何たって俺には……、あーっ！」
　何事か思い出した彼は、急にあたふたとしてプロスペクターにすがりついた。
「そうそう、プロスの旦那よお。いつになったら乗れるんだよ、俺のロボットちゃん」
　彼がここに現れた目的に、最初から何となく察しがついていたプロスペクターは、肩を落として眼鏡を押さえた。
「現在エステバリスは、艦に搭載した状態で調整中です。パイロットへの召集はもっと先の話だと、何度も言ってるじゃありませんか」
　ガイは子供のような不満げな声を上げた。
「そんなあ。ちょっとくらい乗せてくれたっていいじゃんかよぉ、減るもんじゃなし」
　事務的に諭そうと口を開いたプロスペクターだったが、彼が声を発する前にまた一人、男性が室内へ入ってきた。ガイを見つけると、やれやれといったように肩をすくめた。
「ヤマダさん、こんな所にいたんですか。もう、あんまりうろうろしちゃいけないって言われてるでしょう」
　彼はネルガルの制服を着ており、胸には書類を挟んだクリップボードを抱えている。黒髪に囲まれたつぶらな瞳と、柔らかい物腰が特徴的だった。
「ジュン……君？」
　目を見開いたユリカがつぶやいた。振り返った彼も、驚いて目をしばたたく。
「ユリカ……！」
「やっぱりジュン君だよね。どうしてここにいるの？」
　突然の再会を信じられない様子で見つめ合う二人の前で、プロスペクターが多少わざとらしく確認を入れる。
「お二人はお知り合い……でしたかなぁ」
　次いで静かな調子で、ユリカに対して解説を加えた。
「アオイ・ジュンさんは我々のプロジェクトにいたく共感してくださいましてね。地球連合軍少尉という地位をなげうって、この艦の副長としてお手伝いいただけることになったのですよ」
　ユリカは胸に手を当て、ぐっと息を呑んで震える声で言った。
「そう……だったんだ」
　感に堪えない雰囲気の彼女を見て、ジュンはネルガルにやって来た自分の本来の意図を思い出した。いったん口を結び顎を引くと、妙に格好付けた仕草で彼女に声をかけた。
「ユリカ、君が艦長になるって聞いたらいても立ってもいられなくなって。君が危険な目に遭わないようにするために、僕はここへ来たんだよ」
　ジュンは彼女に一歩近づいた。ユリカは潤んだ瞳で彼の顔を見つめた。
「ジュン君、ありがとう。ユリカ、嬉しいよ。……実はね、新しい環境になって友達とも離れちゃったし、これから船に乗って旅するなんていったらどうなるんだろうって、ちょっと心細かったんだ」
　涙すら浮かばせそうなその瞳を見たジュンは急に緊張してしまい、固唾を呑んで直立した。二枚目ぶりもどこかへ吹き飛んでしまったジュンに、ユリカは言葉を続けた。
「だから、ありがとう。やっぱりどんなに会ってなくても、私達はとっても大切な、友達だよね」
「と……?!」
　愕然とするジュンの胸を、冷たい風が吹き抜ける。予想に反するユリカの形容に彼は固まってしまい、二の句を継ぐことができなかった。錫鮠 　彼らのそばにいたプロスペクターは、聞こえぬ振りをして眼鏡を指で押さえ横を向いている。一方彼とは対照的に、ガイは肩を震わせて感動していた。振りかぶった手でジュンの背中をばん、と叩く。
「くーっ、やっぱこれだぜ！　戦場のまっただ中で弱気になっちまった時、支えてくれるのはアツい、アツーい友情なんだっ。うらやましいぜ、この野郎！」
　感涙にむせぶ顔をジュンの肩口に寄せてくる。
　これを聞いたジュンはあわてふためいて否定しようとする。
「なっ、違うっ……！」
　しかしガイは聞く耳を持たず、中空を見上げ自分の世界にどっぷりとはまり込んでいた。ユリカも、目頭を押さえながら彼に同調している。
「あーん、わかってもらえますか、ヤマダさんっ」
「わかる、わかるともさぁ。名前はガイだけどよぉ」
「はいぃ」
　大騒ぎしている二人に挟まれ、ジュンは落胆の溜め息をつき肩を落とさざるを得なかった。うつむいたまま小さな声で何とか自分に言い聞かせる。
「くじけるな。まだ、まだこれからじゃないか……」
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　夜、灯りの少ないサセボの街は人もまばらで、都市としての機能を十分に果たしているとは言い難かった。木星トカゲによる断続的な攻撃のために道路も建物も保全が行き届いておらず、土地のそこここには崩れ落ちたドーム・シティの破片が散乱していた。
　荒れ果てた街の通りを一台のレンタカーが走っていた。ハンドルを握っているのはジュンで、隣にはユリカが座っている。二人ともネルガルから支給された白い制服を着ていた。
　車のダッシュボードに取り付けられた時計の針を、ジュンはちらりと見た。
「トランクを詰め直してた割には、そんなに時間食わなかったな。これなら集合時間に間に合いそうだよ」
　助手席に顔を向ける。
「何たって、ブリッジ・クルーとの正式な顔合わせは初めてだからね」
「うん」
　しかしながら、シートベルトを締めて座席に沈み込んでいるユリカは、唇に指先を当て浮かない顔をしていた。
「どうかしたの？」
　問いかけるジュンに、ユリカはひととき考えてから言葉を口に出した。
「さっき荷物を拾ってくれた青年なんだけど」
「ああ」
　ジュンの頭に、先程車からこぼれ落ちた荷物を親切にも集めてくれて、その上収納方法まで教えてくれた男性の顔が思い浮かんだ。年の頃は彼らとあまり変わらないだろうか。料理道具を背負っていたところを見ると、コックか何かなのかもしれない。
「彼がどうかした？」
「……どこかで会ったことがあるような気がするんだよね。ジュン君憶えてない？」
　彼女の疑問の元を知ったジュンは、図らずも少し笑ってしまった。
「あれ？　ユリカでも名前と顔が一致しないことがあるんだ」
「うーん、誰だったかなぁ」
　何年か振りに一緒に過ごすことになった彼女の新たな一面を見るのはジュンにとって楽しいことであり、彼は多少陽気に答えた。
「この街に知り合いとか、いないんだろ？　それよりも、クルーの名前の方は憶えたのかい」
「うん、そっちはね」
　その話題で思い当たることがあったらしく、ユリカは急ににこやかになって話題を展開した。
「聞いて聞いて。プロスペクターさんが送ってくれた身上書が細かく書いてあったの。でね、皆すごいんだよ、声優さんやってた人とか、社長秘書さんとか、町工場の経営者とか。いろんな人が集まってるんだね。会うのがとっても楽しみ！」
　ジュンは片手をひらひらと振って彼女に答えた。
「もう、すぐだよ。ここからなら、何分かな」
　彼は再び時計を見たが、不思議そうな顔をした。
「……針の位置が同じ？」
　ユリカも時計をのぞき込む。
「変だね」
　彼女は自分の腕時計を確かめ、合点がいったようだった。ばつが悪そうな笑顔でちらりと舌を出し、ジュンにも時計を見せる。
「えっとぉ、こんな時間……」
「うえぇっ?!」
　途端にジュンはハンドルにしがみつきアクセルを吹かした。
「完全に遅刻だーっ！」

「皆さん、こんばんはぁっ！」
　勢いよくドアを開けて入っていったユリカだったが、集合場所に指定されていたドック内の会議室には誰もおらず静まり返っていた。かなり広い室内にはテーブルと椅子が整然と並べられているだけで、反対側にある窓からは、地下ドックの高い天井から降り注ぐライトの光を受けて整備中である戦艦のブリッジ部分が見えていた。
「ん？　まだ来てないのかな」
　後について入ってきたジュンは軽く首を振った。
「そんな訳ないよ。でも、おかしいな。場所は合ってるのに」
　ユリカは室内に進み入ってきょろきょろと辺りを見回す。その様子を見ていたジュンは、ある事に気づいた。
「見てよ、ユリカ。ブリッジに明かりが！」
　言われたユリカは額に手をかざして窓の外を眺めた。この会議室からやや高い場所に位置しているブリッジは照明で明るくなっており、中に幾つかの人影が見えた。
　ジュンは血相を変えた。
「もう皆移動しちゃったんだ。早く僕達もエレベータにっ」
　入ってきたドアを引き返そうとする彼を、しかしユリカは呼び止めた。
「今から戻ってたんじゃ遅いよ。それより……」
　彼女は窓の方へ近寄った。何をするのかとジュンが見ていると、彼女は窓の横にしつらえられた非常口の鉄製の扉を押した。
「ユリカ！」
「近道っ」
　そう言うと彼女は腰をかがめせいいっぱい力を込めて扉を開き、うがたれた穴をくぐって部屋の外へ飛び出した。
　会議室の外はベランダになっていたが、手すりを越えたすぐ先から足場が組まれており、船のブリッジ部分まで幅の広い鋼鉄製の金網が何本も張り巡らされていた。ユリカはためらわずに金網へ飛び移り、走り出した。仕方なさそうにジュンも後に続く。
　ユリカははやる気持ちを抑えきれないらしく、徐々に足を速めていた。ハイヒールを履いているのを忘れているのではないかというような走りを目にして、ジュンは心配になり声をかける。
「注意して走らないと、危ないよ」
「へーきへーき」
　しかし別の意味での危険が彼女に迫っていた。金網は船の下部に至るまで何層も組まれており、途中の幾つかにはドックの作業員が整備を行っている。ユリカ達が走っているすぐ下の足場にも三人ほどの作業員がおり、しゃがみ込んで休憩していた。彼らはユリカとジュンが走ってくるのに気づき、口笛混じりに冷やかし声を上げた。
「おーっ、こりゃいい眺めだ」
　彼らの視線に初めて気づいたユリカは、それでも走るのをやめるわけにゆかず、ももをすり合わせるようにしてスカートの裾を押さえ助けを求めた。
「ふえーん、見ないでくださぁい」
　だが作業員達は懲りる様子もない。二人の制服を見ても反省などしていないようだった。
「そう言われても見えちゃうもんは仕方ないよなあ」
「いやあ、えらく部下思いですなあ、指揮官殿」
　と、にやけている作業員達の頭上から突然バケツが降ってきた。全員の頭に見事に命中し、彼らは苦悶の声とともにうずくまる。
「天誅！」
　バケツを投げつけたのはジュンだった。金網の縁にしゃがみ込んで鼻息も荒く叫ぶ。
　ユリカは足を止めずに振り返り、彼に手を振って感謝の意を表した。
「サンキュー、ジュン君。さすが親友！」
　ジュンは再びの言葉の打撃にうなだれてしまったが、拳を握りしめて自分に言い聞かせた。
「これから、これからだよ、ジュン」
　艦内に入り階段を上ったユリカとジュンは、ブリッジを求めて廊下を走り抜けた。緩やかなカーブを曲がってまっすぐになった通路の先に、白く大きな自動ドアが見えてきた。
「あそこ、かな？」
「違ってたらもう一階層上がろう。あー、それにしてもだいぶ出遅れちゃったな」
「皆そろってるかなぁ」
　ユリカは走っているからばかりではない胸の高鳴りを感じた。――ここから旅が始まる。
　クルーの人々に会ったら、最初に何と言おう。それは、忘れられない印象を与えられるものが良い。ユリカはこれまでの記憶に思いをはせた。
　そしてすぐ、ある思い出にたどり着いた。忘れられない人々との思い出。ユリカは自分の右手に視線を落とし、うなずいた。
　通路の端にたどり着くと、自動ドアが軽やかに開いた。中は明るい光に溢れていて、たくさんの人々が集い、互いに話し合っていた。間違いない、ここが始まりの場所であった。
　ユリカは光の中へ元気よく飛び込んでいった。

〈了〉